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「常識」って言葉で片付けないで 【書く習慣day19「賛成できない常識」】

テーマ:自分が賛成できない常識

常識に対して反抗心は(今の所)ない

んー、そもそも常識に対して何か思ったりはしないかなと思います。学生なのである程度の“自由”は確保されていますし…。

金魚は、広い水槽に移しても、前の水槽の小さな範囲でしか泳がないそうです。

人にも通じるところがありそうですね。

枠組みがあっても俯瞰して外側を知ることや、その枠組みの意味を考えることは大切やと思います。

内側にいる人が、外にいる人を虐げて安心するための枠組みなんかもあるんじゃないかなぁ…。

きっと枠組みを出ないと分からないこともあるのでしょうね。


「常識」という武器

「常識」って言葉、わりと頻繁に出てくる。

でもそれって、なんかそれっぽいんですよね。

「世間一般的に」
「多くの場合は」
「当たり前」

お、おう…そやな…なんかすまんかったな…。
って、丸め込む力がある。
そこで声を上げれば、常識から外れた(→空気の読めない)人というレッテルが貼られる。

最近、なるほどなぁと思ったことがありまして。

常識って言葉を使うとき、人は暴力的になる

さっき私が書いた、「世間一般的に」などの文字列。それはひどく攻撃的なもの。

常識って、強いんですよ
だから、盾にも剣にもなる

その「常識」という武器を使うことは、ある種の対話放棄になる。

考え方も浅くなり、相手を受け入れる余裕もなくなり。

大変なこっちゃですわ。


交わった面

一人ひとりの世界が、一部分で交わった面。丸が重なった図(ベン図だったか)みたいに、どこかで考えというのは交わります。

自分だけかもしれない。

と思っていたこと。それがたくさんの人に共通していたから、安心しただけ。

それがあなたの世界の全てじゃない。

常識で思考を放棄しないで。
あなたの世界を、あなただけの世界を捨てないでほしい。

そんな小さな声を上げてみました。

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