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知らぬが仏!?

情報が氾濫する現代、あまりに多すぎる情報の渦に巻き込まれて、私は時々、溺れそうになることがあります。
ChatGPTなど、最近の対話型AIの出現は、ますますその渦を激しくしているようです。

今は、知りたいと思えば、たちどころになんでも知ることができる、一昔前には想像もできなかった、便利な時代になりました。

その一方で、フェイクニュースや正反対の主張が氾濫し、いったい何が真実なのか、判断することが難しくなっています。

私は以前、『現代の危機』というエッセイのなかで、政治家やオピニオンリーダーの意見を判断するため、自分なりの基準を持っていると書いたことがあります。

「それは、その意見が、
分断と対立をもたらすのか、それとも融和をもたらすのか、
差別や格差の拡大に繋がるのか、それとも縮小させるのか、
紛争や戦争への道なのか、それとも平和への道なのか、
自然をこれまで以上に破壊するのか、それとも保護するのか、
人間の欲望をもっと拡大させるのか、それとも抑制するのか、
持続不可能な社会になるのか、それとも持続可能な社会へと導くのか、
人権や人間の尊厳を軽視するのか、それとも尊重するのか、
といった価値観による判断です」

私は、この基準は、氾濫する情報のなかから何を取捨選択すべきかを判断する際にも使えると思っています。

つまり、情報を選択する際に、自分では意図しなくても、差別や格差、戦争や紛争に荷担することに繋がらないかなど、その情報を注意深く見極めるために使うのです。

その上で、知らなくてよい情報は、思いきって捨てる。
その勇気を持つことで、氾濫する情報の渦に巻き込まれないようにしようと思っています。

しかし、インターネットの普及は、頻発する不正アクセスやサイバー攻撃により、知らない間に個人情報が勝手に使われてしまう、情報漏洩やプライバシーの侵害という問題を深刻化させてしまいました。
もはや、「知らぬが仏」ではすまされない時代が到来しているのです。

私たちは今、心の平安を保つため、知らなくていい情報は捨てる勇気を持つと同時に、知らないでいると思わぬ落とし穴にはまってしまう危険があるということも、しっかりと自覚する必要があります。

知らぬが仏

知らなくてもなんの心配もない、そんなのどかで平和な社会には、もう二度と戻れないのでしょうか。




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