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CANCER QUEEN ステージⅡ 第9話 「抗がん剤治療」


【これまでのあらすじ】

《ステージⅠ》
    キングは健康診断で肺に影が見つかり、主治医のドクター・エッグから肺がんと告知された。
    クイーンはがん細胞でありながら、キングの肺の中で彼の体を気遣うのだった。
    精密検査の結果、キングは肺腺がんと診断され、手術を受けることになった。
    クイーンは後ろ髪を引かれながらも、キングとの別れを決意するのだった。

《ステージⅡ》
    手術は無事に終わったが、肺腺がんの他に大細胞がんもあることがわかり、キングは迷ったすえに抗がん剤治療を受けることにした。
    その後、心臓に血栓が見つかるなど予期せぬ事態に気持ちが揺らいだが、同室の患者との会話をきっかけに、キングは改めて抗がん剤治療を受ける決心を固めた。

前回はこちら。
第8話「抜歯」


 退院から2週間が過ぎた。奥歯を抜いたあと、ぽっかり開いた大きな穴からは1週間以上も出血が続き、その後、完全に痛みが治まるまでには、さらに1週間が必要だった。キングは以前にも奥歯を抜いたことがあるけれど、今回は血栓予防薬のワーファリンの影響なのか、とりわけ出血と痛みがひどかったようね。

 結局、抗がん剤治療の前に、血栓治療と抜歯のために2週間も入院するという思いがけない回り道をしたけれど、今度こそ、キングの最後の入院にするために、わたしは最後の覚悟を決めないといけないわね。

    季節はすでに春。もうすぐサクラも咲く。がんとわかった去年の秋には、サクラはもう観られないかも、と本気で思っていたキングだけれど、手術が成功した今は、抗がん剤治療を前に、すっかり落ち着いている。

    いよいよ5回目の入院生活が始まった。
    キングは7階のナースステーションの前で、顔なじみになった看護師さんたちと笑顔で挨拶を交している。
    病室からは、春霞の柔かな光の向こうに、山手の丘のなだらかな稜線が見える。キングは窓側のベッドに腰掛けて、いつまでも外の景色を眺めていた。

    翌日から、満を持して抗がん剤治療が始まった。熟慮に熟慮を重ねての決断だったから、今、キングに迷いはない。がんには負けない、抗がん剤にも負けない、そんな奮い立つような気持ちを抑えながら、静かに点滴を待っている。左手首にはすでに管が付けられていた。

    今日はまず、デキサートとアロキシという、吐き気を予防する薬を15分間入れる。そのあと、デキサートをもう15分間入れてから、60分かけて1つ目の抗がん剤のエトポシドを180ミリグラム入れる。
    そうと聞いただけで、わたしはもう震えが止まらなくなったわ。
    それから水分を60分間、そのあと電解質を補うソルテム3A・硫酸Mgという点滴液をさらに60分。次に、利尿薬のマンニットールを45分間。そこでようやく2つ目の抗がん剤シスプラチンの登場。145ミリグラムを120分かけて入れる。
    それで終わりかと思ったら大間違い。
    さらに、水分と電解質を補うラクテック500ミリリットルを60分、最後にまたソルテム3Aを60分間投入。なんと、合計8時間15分だ。

    これだけの薬をいっぺんに体に入れるのだから、影響が出ないほうが不思議。
    これから、キングとわたしの命を賭けた闘いが始まるのね。
    でも、抗がん剤のエトポシドもシスプラチンも、薬の効果欄にはがんの増殖を抑えるとあるだけで、がんを死滅させるとは書かれていない。
    わたしが本当に怖いのは免疫細胞なの。ところが、その免疫細胞も抗がん剤は殺してしまうから、まさに諸刃の剣ね。

    11時25分、いよいよ初日の戦闘開始。最初のデキサートとアロキシ薬が管を通して、左手首から体内にどっと流れ込んできた。
    病院から渡された説明書には、デキサートは吐き気予防としか書かれていない。インターネット情報によると、多くの疾患で使用されているステロイド剤で、様々な全身の副作用が出現するとある。
    なかでもおもしろいのは満月様顔貌といって、顔が満月のように膨れる副作用があるらしい。
    キングの顔が膨れるとどうなるのかしら。イケメンのお相撲さんかな。それとも風船のように膨らんだ豚かしら。想像するだけでおかしくなる。もっとも、これは長期にわたって大量に使用した場合だから、今回は起きそうもない。つまんないな。
    アロキシのほうも便秘や頭痛、しゃっくりといろいろあるわ。しゃっくりくらいならいいけれど、急激なアレルギー反応で命の危険もあるというアナフィラキシーは怖い。
    どうか、キングに起きませんように!

 11時45分、初めての抗がん剤、エトポシドの投入。
    エトポシドは今回の主役と言ってもよい。もう一つのシスプラチンが今日1日だけの投与なのに対して、エトポシドは3日も投与するから。
    説明書きには、エトポシドの副作用にも、骨髄抑制や貧血、食欲不振、精巣腫瘍、吐き気・嘔吐、脱毛と、恐ろしげな症状がたくさん並んでいる。
    副作用だけ見ていると、なぜこんな危険を冒さないといけないのか、疑問に思うのは当然ね。キングは不安をぐっと抑えて、点滴袋が空になるのをじっと見つめている。

    点滴が始まってから、看護師の工藤さんがたびたび顔を出しては、慣れた手つきで袋を替えていく。大柄な彼女は、大きな目を真っ直ぐに向けて、

「なにか異常はないですか?」

    と、キングに訊く。見るからに頼りがいのある看護師さんね。
    頼りがいといえば、この病院の医療ミス防止のためのチェック体制もあるわ。看護師は点滴や採血の処置を始める前に、必ず患者に名前を言わせて、本人かどうかの確認をする。
    併せて、入院時にはめられたリストバンドのバーコードを専用機で読み取って、二重に本人確認をする。
    これだけやれば、お嬢さまが心配していたような医療ミスは起きそうもないわね。
    もっとも、キングは1日に何度も名前を言わされて、少々うんざりしているわ。看護師さんたちとはもう顔なじみになったんだから、少しぐらい手を抜いてもいいのにね。
    極めつけは、抗がん剤の袋を取り付けるとき。看護師2人で患者名、薬剤名、容量をダブルチェックしてから、さらに本人にも確認させる。
    昨今、あちこちの病院で医療ミスが起きているようだから、キングもこれくらいはがまんしないといけないわね。

    14時45分、エトポシドのあとソルテム3A・硫酸Mgまで終わって、今は利尿薬のマンニットールを入れている。
    その間、キングは昼食をいつも通り完食した。水1リットルを飲むノルマも軽くクリアーしている。点滴でもかなりの水分を入れているので、トイレにはこれで6回目。3時間で6回だから、30分に1回の頻度。ほんとうに忙しいわね。
    量も半端じゃない。トイレに置いてある個人名入りの計量カップで測ると、毎回500ミリリットルは出ている。膀胱って、意外と大きいのね。
    キングは普段から尿の回数が多いほうだけれど、さすがにここまで頻繁ではないわ。でも、看護師の工藤さんは、このあとのシスプラチンには腎臓の機能が低下する副作用があるから、頻尿のほうがいいと言うの。
    説明書には、
『急にむくみが出たり、体重が2キロ以上増えたり、尿量が減るなどの症状があれば、必ずご連絡下さい』
    と書いてある。悪くすると人工透析になるらしい。尿があふれるくらい出ていれば、腎臓が正常だという証拠。
    キングも面倒がらずに、トイレには何回でも駆け込んでくださいね。

    16時ちょうどに、本命中の本命、シスプラチンが登場。今回は回数こそエトポシドに主役の座を譲ったけれど、シスプラチンはプラチナ製剤と呼ばれて、世界で初めて抗腫瘍効果が発見された抗がん剤界のスーパースターなの。 
    それだけに毒性も強い。腎機能障害、吐き気、嘔吐、食欲不振、脱毛などの副作用の他に、骨髄抑制といって、白血球や血小板を減少させて免疫細胞にダメージを与えてしまう恐ろしい副作用のある猛毒よ。
    まさに『毒を以て毒を制す』だわ。
    それにしてもプラチナ製剤という名前が印象的ね。プラチナはネックレスや指輪に使われる貴金属のこと。がんにも効果があるなんて、なんだか不思議。 
    ひょっとしたら、そのうちプラチナがわたしのDNAに巻きついて、ネックレスみたいにキラキラと輝きだすのかしら。きれいなのはいいけれど、痛いのはいやだな。

    ここまで点滴は順調に進んでいたけれど、シスプラチンを入れる少し前から、手首に差している点滴針の周辺が急に痛くなり、キングはその日初めてナースコールをした。
    駆けつけた工藤さんが落ち着いた様子で確認して、点滴のスピードを少し落とすと、痛みがすーっと消えたみたい。やっぱり頼りがいのある看護師さんね。

    その日、シスプラチンが終わるころに、ドクター・エッグが様子を見にきた。
   
「手首の痛みは治まりました」

   とキングが言うと、ドクター・エッグは安堵の表情を浮べた。笑うと意外にかわいい顔になるのね。

    18時20分、ラクテックが終わった。この薬は水分と電解質を補うためだから、言ってみれば、スポーツドリンクを血液に直接送り込んでいるようなもの。
    これが500ミリリットルで、その次のソルデム3Aも500ミリリットルだから、この2時間で1リットルのスポーツドリンクを飲むことになる。
    キングはノルマの1リットルをとっくに超えて、もう1,550ミリリットルも水を飲んでいるから、今日は合わせて4リットルの水分を取ることになるわ。
    そんなに水ばかり飲んで大丈夫なのかしら。キングのお腹からは、歩くたびに、ぽっちゃん、ぽっちゃんという音が聞こえてくる。腎臓も大忙しだけれど、何回もトイレに行く彼も大変ね。

    19時30分。朝からぶっ通しの点滴がようやく終了。キングは夕方から頭が少し重たいようだけれど、初日はなんとか無事に乗り切ったわね。お疲れ様でした。
    わたしも今のところ異常なし。覚悟していたキングとのお別れは、どうやら明日以降に持ち越しのようね。うれしいやら悲しいやら、複雑な気持ちだわ。

    点滴2日目の朝。キングは6時半からのラジオ体操のあと、気功とレイキをきっかり1時間やった。気功やレイキが本当に有効かどうか本人も半信半疑だけれど、『病は気から』を実践するため、気を強くして、心の安定を保とうとしているのね。
    キングは朝食後シャワーを浴びてから、運動のために12階のデイルームまで階段を上り、帰りに5階の売店に寄って部屋に戻ると、顔が急に火照ってきて、まるでお酒を飲んだように真っ赤になった。これには彼も驚いたけれど、売店で買った経口補水液を飲んで、しばらく様子を見ることにした。 
    補水液は水分補給にいいと看護師さんから勧められた、電解質と糖質を配合した一種のスポーツドリンク。WHO(世界保健機構)が提唱する経口補水療法という考え方に基づいた飲料らしい。
    キングはそれをコップ1杯飲んでから、両手を顔に当てる気功をしながら、しばらく安静にしていると、徐々に顔の火照りが治まってきた。補水液か気功か、どっちが効いたのかわからないけれど、症状が治まったのはなによりね。
    点滴をコース料理に例えて言うなら、昨日は7品のフルコース、今日は2品のアラカルトといったところ。前菜には吐き気予防のデキサートを15分、メインディッシュは抗がん剤のエトポシドを60分投与するだけだから、今日は楽勝よね。

    午前11時15分、担当の佐々木看護師が点滴薬を持って病室に現れた。キングとはすっかり顔なじみだ。
    彼は小柄な佐々木さんのことを、

「一見頼りなさそうだけど、仕事ぶりはきびきびとしていて、若いのにベテランの域に達している」

    と、しきりに褒めている。
    今朝も順調なスタートと思ったのもつかの間、デキサートを始めてすぐに、キングはしゃっくりが止まらなくなった。そういえば、昨日投与したアロキシの副作用の一つにしゃっくりがあった。
    そのうち治まるだろうとのんびり構えていたけれど、10分経っても止まらないので、さすがに彼も心配になってきたところに、ちょうど、佐々木さんが様子を見にきた。

「しゃっくりのお薬もありますから、遠慮なく言ってください」 

「はい」(ひっく!)

「まあ、もう少し様子を見てからお願いします」(ひっく!)

 と、キングはしゃっくりに邪魔されて、ちょっと苦しそう。
    それでも、薬嫌いのキングは、しゃっくりぐらいで薬は飲みたくなかったようね。
    佐々木さんがいなくなると、彼は思いついたように深呼吸を始めた。気功の本に載っていた『逆深呼吸』という呼吸法で、普通の深呼吸とは逆に、息を吸うときにお腹をへこませ、息を吐くときにお腹を膨らませる。気を体内に取り入れて、免疫力を高める効果があるというの。
    そんなの気休めじゃない?
 ところが、驚いたことにその呼吸法を始めた途端に、彼のしゃっくりがピタッと止まったの。これには本人もびっくり。
    まさか! それって、偶然よね。

 11時30分、昨日に続いて、主役のエトポシドの登場。昨日のような手首の痛みは出ず、点滴はスムーズに進んでいる。 

 途中、キングはトイレに行った。今日は、昨日の倍の2リットルの水を飲むように言われている。昨日はトイレに18回行ったけれど、今日は何回になるかしら。入れるのも出すのも忙しいわね。

 60分間のエトポシドの点滴は予定どおり終了。この間、しゃっくりが2回出たけれど、他にたいした副作用もなく、今日も無事に終了したわ。

 これまで副作用らしき症状としては、頭が重いこと、急に顔が火照ったこと、点滴針を刺した手首に痛みが出たこと、しゃっくりが出たことくらいね。心配した食欲不振や吐き気は、今のところ出ていない。
    どうか、このまま無事に終わりますように!

 夕食後、キングが寝る支度をしていると、夜間勤務の伊藤看護師が様子を見にきた。

「ばばあの伊藤です」

    伊藤さんは同姓の看護師さんと区別するため、自分のことをそう呼んでいるの。小学生の子どもがいるから、もちろん、「ばばあ」なんかじゃないわ。彼女はこの病棟の中でも、飛びぬけて明るい看護師さんで、来ると必ず患者と冗談を言い合っている。今夜もキングが伊藤さんの赤いユニホームを褒めると、

「赤が好きなんです。いいでしょ」

 と言って豪快に笑った。

「赤は私も好きで、赤いセーターなんかよく着ますよ」

 と、彼が言うと、

「お似合いそうですね。赤いパンツとかは?」

 ですって。

「赤いパンツね。見せる人もいないしね」

「そんなことないでしょ。なんて言うと奥さまに叱られますね」

 彼女はまた豪快に笑ってから、大股で病室を出て行った。

 今日で点滴治療も3日目。夕べ、キングはよく眠れたようで、今朝も目覚めがよかった。それでも夜中に3回も目が覚めている。1回目はトイレ、2回目は同室の患者さんの咳き込む声、3回目は自分のしゃっくり。
    しゃっくりは、昨日、結局8回も出た。彼はそのたびに、例の逆深呼吸で止めている。
    気功恐るべし!
    本当のところはわからないけれど、現に8回も止まったんだから、偶然とばかりは言えないかも。

    点滴メニューは昨日と同じ。明日は吐き気予防のデキサートだけだから、実質的には、抗がん剤治療は今日で終わりよ。

    午前11時から開始。今日もはじめは順調だったけれど、デキサートのあとのエトポシドから、点滴液の落ちる速度が急に遅くなった。そのうち、点滴針を刺した所がまた痛み出した。 
    看護師の桜井さんが急いで先生を呼びに行くと、紺のユニホーム姿の女性ドクターが入ってきた。ドクターが管を確認してから、すばやく針を付け替えて点滴を右手に移すと、キングの腕の痛みはすぐに消えた。あまりの手際のよさに感心して、キングは桜井さんに訊いた。 

「今の先生は、点滴の専門医ですか?」

「いえ、研修医さんです」

「え、そうなんですか。研修医さんにしては慣れていますね。でも看護師さんのほうがもっと慣れているんじゃないですか」

「そうですね。人にもよりますけど。でも、抗がん剤治療の場合は、点滴針は医師にしかできない決まりなんです」

「そうでしたか。それだけ安全に配慮しているんですね」

 針の交換に時間が取られたので、昼食が運ばれてきても点滴は続いていた。利き手の側に管がついているから、キングはすごく食べにくそうね。

    午後1時、この日の点滴が終わった。
    しゃっくりはまだ出るけれど、昨日ほどではない。それより、今日は便秘のほうが気になるみたい。もう2日も続いている。ちょっと胸やけもあるようだ。吐き気はないけれど、食欲がなくなっている。

    点滴が終わってまもなく、ドクター・エッグが血液検査の結果を持ってきた。特に気になる数値は出ていないらしい。ひとまず安心ね。
    でも、これからの10日間が要注意だそうだ。どうやら骨髄抑制が始まるらしい。骨髄抑制で白血球が減ると、免疫機能が低下して肺炎などの感染症が起こりやすくなる。
    病院の説明書には、

『日常生活での手洗い、うがい、マスクなどの感染症対策が重要です』

    と太字で書いてある。
    今日の白血球数は8,440で、基準値が3,300から9,400だから、今のところ問題はない。
    これからは、血小板の減少による出血とか、赤血球の減少による貧血にも注意が必要だそうだ。
    これから副作用との本格的な闘いが始まるわけね。わたしも気を入れ直さないといけないわ。

 今日は抗がん剤治療の最終日。といっても、メニューは吐き気予防のデキサートだけ。あの、しゃっくりの出る薬よ。
    15分間の点滴が終わり、管から解放されると、キングは思いっきり背伸びをした。
    この4日間の治療を1クールと呼ぶと、標準治療では、これを4クールやらないといけないらしい。
    でも、キングはこのあとも続けるかどうか迷っているの。効果と副作用を天秤にかけて、慎重に判断するつもり。1クールだけでは効果がなさそうだけれど、4クールでは副作用が強すぎるかもしれないと思っているの。
    キングのように予防的な抗がん剤治療の場合は、効果を計る指標がないらしい。たとえ4クール全部やったとしも、効果が出ているかどうかはわからないというの。5年生存率の25パーセントが40パーセントに上がるという保証もない。
    それじゃあ、判断のしようがないじゃない。
    キングはこのまま大した副作用が出ないなら、もう1クールはやってもいいと思う一方で、お嬢さまが心配するように、これから重い副作用が出る可能性を否定できない以上、ここで止めたほうが無難かなと思ったりもしている。まるでハムレットの心境ね。

    がんはもともと正常細胞が突然変異して生まれた細胞だから、言ってみれば、わたしはキングの分身のようなもの。だから、抗がん剤治療で体に毒を入れるのは、自分で自分を死に追い込もうとする一種の自傷行為とも言えるわ。
    とすると、副作用は猛毒に襲われたがん細胞が、正常細胞を巻き込んで発する断末魔の叫びかしら。しかも、がん細胞は毒を飲み込むたびに抵抗力を増して、ますます多くの正常細胞を攻撃するの。

    人類はこれまで、手術や放射線、抗がん剤、最近ではゲノム医療まで駆使して、徹底的にがん細胞を抹殺しようとしてきたわ。その結果、これまで不治の病と言われたがんは、今ではそこそこ治る病気になってきた。それは人類の勝利とも言えるけれど、一方で、わたしたちがん細胞はそのたびに、なんとか対抗手段を獲得して、しぶとく抵抗してきたことも事実ね。
   こうした人類とがんとの闘いは、いつまで続くのかしら。

    がんの原因となる遺伝子の突然変異は、同時に、人類の進化に欠かせないプロセスでもあるわ。その突然変異が、あるときは進化というプラスの結果を、またあるときはがんというマイナスの結果を生む。でも、どこからがプラスでどこからがマイナスだと、きっちり線を引くことはできないはずよ。

    キングが悩む問題の根っこには、そんな人類のジレンマがあると、わたしは思うの。だったらどうすればいいのかと訊かれても困るけれど、キングの体のなかで、わたしと正常細胞が仲良くいっしょにいられるような、画期的な治療法をだれか開発してくれないかしら。

    わたしはこれからもずっと、キングといっしょにいたいだけなの。それには、おとなしくしていればいいのだけれど、困ったことに、自分ではいつまでそうしていられるかわからないの。
    やっぱり、なんとかしてアポトーシスするしかないのかな。もし、がん細胞が楽に自然死できるような新しい薬ができたら、わたしは喜んで飲むわ。


(つづく)




















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