いきすぎた生徒擁護は公教育崩壊の幕開け

先日、18才の自衛官候補生が、教官と先輩自衛官の2人を銃で撃って死亡させたというニュースが流れてきた。

犯人の候補生は、教官に対しては殺意があり、先輩自衛官については教官を銃殺する際邪魔になったから撃ったという旨の供述をしているらしい。教官から厳しく指導されたことに腹を立てたのが殺意のきっかけという。

年齢的に考えて、犯人は3月に高校を卒業したばかりだと思われる。今日見たニュースでは、彼の家庭環境が劣悪だったことや、学校でも急にキレて教員が手を焼いていたことが報道されていた。


私の個人的な感想だが、本当に犯人だけが悪いのか?と思わずにはいられない。
家庭環境が劣悪で、家庭に教育力がない場合、最後の砦になれるのが学校である。だが、昨今の過剰なまでの生徒擁護の風潮の中、学校ですら教育ができないのが実情だ。
『この子は家庭環境が複雑だから』
『この子は根は優しいから』
だとか、一見聞こえの良い言葉を並べて、学校が生徒を教育することを放棄しているような場面を数えきれないくらい見てきた。
この犯人と関わってきた学校の関係者は、今何を思うんだろう。やっぱりやってしまったか、それだけだろうか。

『これはダメ、あれはダメ』と頭ごなしに言わない。確かにそうかもしれない。でも家庭で社会の最低限のルールさえ教わらないまま育った子どもは一体誰が教育する?
学校に来ただけで、『えらいね、頑張ったね。』と大袈裟に褒めて持ち上げて。社会では到底許されないことをどれだけやっても学校では叱られず。厳しいことを言おうものなら、人権屋気取りの教員が『生徒の気持ちを大切に』だのなんだの綺麗事ばっかり並べ立てて。

この自衛官候補生のニュースを見て、公教育が崩壊しているのは私が体験した学校だけでは決してないんだろうと思った。
嫌なことをたくさん、思い出した。

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