ライフメモリーズ誕生秘話
目次
第1章 おじいちゃんとの思い出
第2章 進路を考え目標を決断
第3章 旅に出る
第4章 焦りの中での葛藤
第5章 僕にはできなかった
第6章 後悔とやり直し
第7章 大好きな人の為に思い出屋として
第1章 おじいちゃんとの思い出
おじいちゃんの最初の記憶は6歳の頃から始まる。山口県で6歳まで生きてきて、母の実家に帰る事になってそれからがおじいちゃんとの思い出の始まりだ。
畑を作っていてよく野菜を食べさせてくれた。岐阜に来た2年間は一緒に住んでいて、優しく色んな事を教えてくれた。
僕には父が居なかった。山口から岐阜に来て離れ離れになって寂しくて毎日夜に涙が止まらなかったけどお爺ちゃん父の代わりのように優しく関わってくれた。寂しくないように一緒に寝てくれる日もあった。
僕の事は拓実くんと呼んでくれていた。いつも、頼まれ事をやればありがとうと褒めてくれたし、色んな事に感謝を忘れない人だったように思う。
昔の時代の事や、おじいちゃんの人生を教えて貰う事もあった。いつも優しい人でした。僕はおじいちゃんから多くの事を学んでいった。
時間がたって13歳に。
中学生になる頃、おじいちゃんは倒れて救急車に運ばれた。凄く怖くてまた涙が止まらなかった。しばらくしたら体調も回復してくれてとても安心したよ。
でもその時ぐらいからおじいちゃんの時間にも限りがあって一緒に生き続ける事はできないんだと意識するようになったな
それからおじいちゃんは入退院を繰り返すようになっていった
第2章 進路を考え目標を決断
高校卒業も近づき、進路を考えなきゃいけない時期になってきた。常に目の前の事に集中していて、進路の事なんか殆ど考えて来なかった。
それまでは男として強くありたかった。家族を友人をこれから会う大切になる人を守れるようにかっこいい男になりたかった。
強くなる為に、常に体を鍛えて、毎日自分を追い込んで自信をつけた。
でも高校3年生の頃に社会の事は知らないし将来の事も分からない何も将来をイメージする事はとてもできなかった。
結局一年後に就職するという約束のもと僕は就職も進学もしなかった
高校卒業後は毎日のように自分と対話をしながら、お金の勉強や社会についての情報を集めた。
毎日のように(僕は何をしたい?)(どう生きたい?)こんな事を自問自答した。その時の僕は何者でもなかった。学生でも社会人でも役職を持たず目標もなくただこれから生きてく人生について考え続けた
答えは自分しか知らない事を知っていたから、考える事の放棄をする事はなかった。
ある日に中学3年の頃進路講和で牧師さんから聞いた5大目標を思い出した。
考えて続けて、また僕は思い出した。僕はいつも神社で神様に『家族を友人を目の前の人を幸せにできる男になれますように』と小さい事から変わらず祈り続けてた。家族は突然崩壊する事を経験したから人一倍身内思いになって育っていっていた。僕が心から願う事はそれだけだった。
明確に僕の人生の目標を定める事ができた。
それからは、逆算的にやらなきゃいけない事を設計するようになった
家族の中には岐阜で父の代わりに僕達を守ってくれていたおじいちゃんが居た。家族の中で1番時間が少ない事を分かっていた
おじいちゃんに僕ができる最高のプレゼントを
ライフメモリーズを
あなたを記録すると胸に誓った
第3章 旅に出る
ライフメモリーを作りおじいちゃんを記録する為に僕は旅に出る事にした。社会に出てもライフメモリーズは作れないと思ったから
目標を定めて、多くのなりわいを作っているかっこいい大人に出会わなければならないと感じていた
高校卒業後1年後、約束通り僕は職についた。地域おこし協力隊に。自分の知らない土地だからこそ経験値の質を上げれると思った。今でも覚えてる事がある。
協力隊のzoom面接で話した内容は、地域おこし協力隊として無理に地域を起こすのではなく、その地域に根付く今生きる人を記録する事が僕の仕事だと思ってると話した。
それから2年間、協力隊として多くの挑戦と活動をしていった。とにかくなんでもやった。
農業や漁業を手伝ったり、進路講和をしたりアウトドア事業立ち上げもやった。マスコットキャラに真夏の中入ったり、東京にPRとして物販をしに行った。冬場は仕事はなくて孤独で冬季鬱にもなった。村の意地悪な爺さんに嫌味をよく言われた。でも毎日のようにご飯を持ってきてくれる優しいおばあちゃんも居た。多くの経営者に会い、ないわいを立ち上げる葛藤や不安も見てきた。
多くの経験を積んでも、心に秘めたライフメモリーズに繋がるアイデアに辿り着けなかった。自分が好きな家族も友人もいなかった僕自身を守る傘はほとんど無かった。それでも、勝負をしに外に出て心をすり減らしながら最大限の成果を得れたと思う。
佐渡でこれ以上、ライフメモリーズに繋がる学びやアイデアは無いと思った。もう帰る時間がきた
おじいちゃんの時間ももう少ないのは分かってた。
第4章 焦りの中での葛藤
岐阜に帰っておじいちゃんの家に顔を出して喜びあった。
これからはおじいちゃんの近くで色々やっていこうと思ってなんだかんだ地元に帰れて嬉しかった
地元には友達がいて家族がいた、話が片言になるぐらいには頭は回らなくなってたけど、回復していってた。
ライフメモリーの流れもなんとなく考えがまとまってきて直感的にあと少しのピースを集めればおじいちゃんに良い物をプレゼントできると思ってた。
そんな時、おじいちゃんはまた体調を崩した。
母にも姉にも、もう限界は近いと言われた。
言われなくても分かってた。
僕はもう動かなきゃダメだと良いものを作ろうとしなくても良いと間に合わなくても、ただ動画を撮って後からその情報をデータに変えれば良いと思って携帯を握りしめて会いにいった
おじいちゃんと話をした。
いつもと同じように最近の話をして、おじいちゃんは最後まで体は弱ってたけど頭はしっかりしてた。
おじいちゃんはいつものように話に付き合ってくれた。
第5章 僕にはできなかった
僕にはできなかった
『おじいちゃんの思い出を人生を記録したい』と言えなかった。心では何度もこの言葉を言っていて、言葉をおじいちゃんに吐き出すだけだった
でも、できなかった
その言葉はまるであなたの人生は残り少ないと言っているようなものだった。
もしおじいちゃんをインタビューしてあなたを余さず聞いて記録した時、あなたは満足していなくなるんじゃ無いかと思って言えなかった。
まだお別れが嫌だった
僕は逃げた。嫌な事から逃げるのは昔から変わらない。
2024年3月9日 祖父は他界した
第6章 後悔とやり直し
おじいちゃんへ
ライフメモリーズはとりあえず完成したよ
まだ最高の物じゃないけど、どんどん最高の物にしていくから。
点と点が繋がるように
おばあちゃんからおじいちゃんの話を聞く事にしたんだ。
僕が居なくなってもおじいちゃんの思い出は世界に残すよ。この場でももう一度あなたに言いたい。最高な人だった。僕もあなたのようになれますように。
第7章 大好きな人の為に思い出屋として
僕は思い出屋をライフワークとして活動して行きたいと考えてます。
僕と同じように大切な人へ思い出のプレゼントを考えてる人にはとても良いサービスになっています。
また自分の思い出をデータにし見える化する事で自己分析が進み多くの気づきに繋がり事もできます。
もしこれを読んでるあなたが誰かの孫でおじいちゃんが大好きなら元気なうちにあなたがインタビューしてこのプレゼントを渡して欲しい
僕のこれまでの経験を持って全力で仕事を取り組まさせて頂きます。今現在の僕にできる最大限の物を作ります。
僕もおじいちゃんが愛したこの土地を愛してる。最高の思い出が詰まってる。岐阜県を各務原市をもっと面白く幸せな町になるように色んな事をしてきたいと思ってます。
これからもよろしくお願いします。
元気にワクワクしながら思い出を集めていきます。おじいちゃんに胸を張れる孫であれるように
2024年7月29日サービス提供開始予定
先行予約は公式ラインにて
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