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#006 11月4日

2018年11月4日。最後の結婚記念日。
鳥取にある田後港に釣り旅行にいった。私たちの共通の趣味が釣りだったこともあり、記念日は釣りに行っていることが多かった。この田後港に行くのも3回目で、遠征場所としては馴染みがあって、2人の思い出の場所のひとつ。鳥取生まれの人にもあまり知られていない、私たちの小さな大切な場所。

夫が突然言い出したのだ。「記念日は鳥取に行きたい。」
その頃、私は新しい部署には慣れて、仕事は順調にこなしていた。忙しい年でもなければ、仕事量も新人で配慮されており、仕事内容も適職であった。仕事の方は全く問題なかったことがありがたかった。新婚ということで、飲み会に参加しないでもいいような環境が揃っていた。この頃には同僚の数人には、夫が休職中であることは伝えていた。

旅行中のほとんどの時間が、本当に元に戻ったような穏やかな時間だった。
釣りとは別に、波際を一緒に歩いたり、近くの神社にお参りしたり、知らなかった田後港を探検したりした。まるで何もなかったように笑って過ごした。
幸せだった。特に何か大きな出来事あったわけでもなく、穏やかに過ごせたことが、本当に幸せだった。
しかし、その穏やかなキラキラした時間が、がんじがらめでどうしようもない現実を際立たせた。旅行から帰った直後、私が壊れる発端になった。

帰宅した夜、私の張り詰めた糸が、そして夫の張り詰めた糸も。完全に切れた。
自分を無感情に丸め込んだ糸が切れて、私は泣くしかできなかった。私は何も言えなくて、苦しんでいる夫の前で、身体を丸めて泣くしかできなかった。
取り返しのつかないことだった。
その時初めて、私から離婚したいと口にした。

結婚指輪をはずして夫に返した。
夫は全く反応しなかった。おそらく、出来なかったんだと思う。
最悪だ。お互い疲れていた。身体も精神も疲れ果てていた。そんな最悪の条件で、最悪の未来を告げてしまった。

時がどれだけ経っても、【私が夫を殺した】という感覚はずっとある。普段、ちゃんと生活をしないといけないから、意識しないようにしているだけだ。
病気だったから自死を選んだと言えば、それはそうだと思う。ただ、やっぱり最後の引き金を引いたのは私だという意識は消えない。その意識を消そうと思っていない。

その日、私は12時を過ぎるまで街を歩き回った。頭を冷やして帰宅すると、夫はベッドに横になっていた。
寝室もベッドも一緒だった。夫に一言だけ、ごめんと声をかけた。返ってくるはずもなかった。

この日から、夫が亡くなるまで、お互いに意図的なすれ違いの日々を過ごすことになる。感情に揺さぶられ、狂っていた。夫も私も狂っていた。




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