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#010 海を感じる人

「君やな。瀧やんところの子」
初めての異動当日。メンバー8人、係長1人編成の小さな係に異動して、今日は定時で上がれそうだなと胸を撫で下ろしていたところに、スッと現れて声をかけられた。
陽によく焼けた顔。ちょっと笑いながらかけられた声は気持ちいい響きだった。お互いの部署が離れてからも、ずっと一緒に飲みにいく隣の係のその人は、いつも飄々としていて、いつも穏やかに話をする。
異動が確定した日に、一つ目の職場でお世話になっていたおっちゃんが、同じ部署に知り合いがいるからと、私の目の前で電話で紹介してくれていた。縁が縁を呼び知り合ったこの人は、私にとっては本当に落ち着く人で、誰よりも尊敬しているかっこいい大人だ。

「海」といえば、想像するのは生まれた場所によって人それぞれだと思うが、この人を例えるなら「大海原」のような人だと思う。ゆったりとした広さと、なんとも言えない不思議な深さのある人だと感じている。その人が50代前半に出会った時、その人が飲み会を開催すれば、たくさんの若手が参加した。毎年仕事納めには、馴染みの店を貸し切って、様々な年代の様々な部署の人が集まって忘年会もしている。派手なイメージをするかもしれないが、この人は決して若手に武勇伝を言うわけでもなければ、話の中心になることもなく、若手たちがわいわいしてるのを見ながら、いつもゆったりと酒を飲んで座っている。
ただ、見た目もどちらかというと派手な顔をしている上に、若手女子たちとよく話をするから悪目立ちもしていたのだろう。同僚の中でも、苦手意識を持っている人も一定数いる様子だった。本人は、「俺も気が合うと思うやつしか声かけんからなぁ。」と我関せず。
実は今の私も同じようなスタンスをとっている。「好きな人しか視界に入れない。」私が常にご機嫌でいれるようになった基の考え方は、この海を感じる人を尊敬して、この人のようになりたいと思っているからこそ出来たものだと思う。

大切な人たちに貰った言葉を紹介したいのだが、この人に関しては、言葉単体を覚えているというよりも、いつも行動で示してくれた。むしろ示すというよりも、ただただ、ずっと変わらない距離でいてくれた。


「飲みにいこか。」
夫が亡くなって忌引休暇と2週間の休暇をとって、久しぶりに復帰した。上司・同僚みな、どこまで事情を知っているかはさておき、気の毒に感じてくれていたのだろう、どう接していいか分からなかったと思う。仕事の続きに集中するフリをして時間をやり過ごしていた。終業とともに帰ろうとした私を見て、この海の人はまたスッと声をかけてくれた。事件の前後で、変わってしまった周りの痛々しい視線なんてもろともせずに、またスッと声をかけてくれた。いつもと変わらないちょっとだけ笑った目と、変わらない声の温度にすごく安心したのを覚えている。
「大変やったな。」この人が事件に触れて言ったのはこれだけ。あとは何も聞かずに、いつも通りに、ゆったりとお酒を飲んでいる。この時は、夫のことを話せる状態になかった。いつも通りに、取り留めもない話をして、ご飯を食べて、お酒を飲んだ。一人暮らしになって、まともに食べたあったかいご飯だった。

「沈黙は金、雄弁は銀」というけれど、事件後に、様々な言葉で気の毒や労いの言葉だけをかけてもらったのだが、この時に必要だったのは表面上の言葉ではなく、今までと変わらずに一緒に過ごしてくれることだった。
正直難しいのはわかっている。だから、別に上司や同僚を非難しているわけではなく、たった一人この人が居てくれたことで、どれだけ救われたことかと感謝をしてもしきれない。

いつもありがとうございます。今日も会えますね。



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