あおさば

本を読み、写真を撮る 嫁殿、ネコ殿、イヌ殿と静かに穏やかに過ごす日々 東京を愛して…

あおさば

本を読み、写真を撮る 嫁殿、ネコ殿、イヌ殿と静かに穏やかに過ごす日々 東京を愛してやまない千葉県民 細々と、けれど楽しく描くAIアート。 https://www.chichi-pui.com/users/user_Y9mgle2iRt/

最近の記事

今週のAIアート供養 9/22

ひっそりと始めたAIアート。 ちちぷいというページで細々と公開中。 https://www.chichi-pui.com/users/user_Y9mgle2iRt/ 気まぐれにInstagramやXでも投稿しているけれど、メインはこちら。 すみわけとかタイトルのつけ方とかが、まだ一貫してなくてちょっと悩み中。 たまに見ていただけるととても嬉しいです。 大量に作成されるAIアートは没の山なのだけれど、それでも結構気に入っているものを気まぐれにご紹介。

    • 美女を泳ぐ

      その時、私が出会った彼女は、少なくとも私の印象では美女ではなかった。 1年と少し前、画像生成AIというものがちらほらと知られるようになり、画力は全くないが絵を観るのが好きな私は、当然のように飛びついた。 AIで生成された絵はどれもこれも素晴らしかった。 こんなものが描けるのか。 しかも言葉で指示をすれば、それを描いてくれるというのである。 飛びつかないわけがない。 さっそく私もやった。 どのAIで描いてもらったかは覚えていない。 覚えてはいないが、何を描いてもらったかは

      • パンクでロックだった私

        そもそも通知が来ること自体が少ないが、中でも見慣れぬ通知に首を傾げた。 私の記事がどうやら紹介されたらしい。 紹介されるようなことを書いたろうか?と思いながらその記事を拝読する。 パンクでロックな文章が好き~公開ファンレター|音と夢 (note.com) 音と夢さんは、比較的最近フォローさせていただいた方で、非常に印象深い文章を書かれる方である。 すでに旅立ってはいるものの、愛犬との日々を綴った一連の記事は、同じくイヌ殿、ネコ殿と暮らし、そしてその旅立ちに立ち会ってきた

        • 夏の秋

          台風の何号かが過ぎ去ったのち、二日間ほど涼しかった日があった。 あぁ、ついに秋が来たか、と思ったものの、この週末は再び暑さに見舞われた。 一か月ぶりくらいに上野の街を歩く。 土曜にもかかわらず、人の数は驚くほど少ない。 朝からすでにできあがった客で溢れているアメ横の居酒屋も席にはかなり余裕がある。 キャッチの声もどこか必死だ。 いつもなら人が多すぎて、キャッチにロックオンされることもそうそうないが、この日ばかりは、右から左から、前から後ろから声をかけられる。 お兄さん

        今週のAIアート供養 9/22

          奏音

          やりたいこと、やらなくてはいけないことは山の様にある。 仕事がある日は、すっかり仕事で消耗しているため、次の休みはあれをやろう、これをやろう、と頭の中で予定を立てる。 けれど待ちに待ったその休みを迎えているにも関わらず、予定していたことはほぼ何も進んでいない。 疲れているな、と感じる。 何に? 多すぎる情報に。 相変わらずAIに傾倒する日々が続いている。 AIに未来を感じている。 むしろ、これを仕事にしていきたいとさえ思う。 だからこそ、色々な情報に目を向ける。

          軒端の驟雨

          秋の気配がする。 誰かがそう言っていた。 いつまでも梅雨のような蒸し暑さから解放されない日々なのに、何を言っているのか、と思った。 でも、確かに言われてみれば、朝晩は涼しさを感じる日も増えた。 気が付けば日没も早くなっている。 こうして季節が巡ってゆく。 8月ももう終わる。 今年に至ってはもうとっくに折り返し点を過ぎている。 節目が来た。 私はまた色々と思い出す。 どの思い出も美しい。 そして、そのほとんどが今や失われていることにまた気づく。 失くしたものを取り

          軒端の驟雨

          私、そして私(後編)

          私と、私を模したチャットボットが、同じテーマで文章を書いた。 正直、フェアではなかったと思う。 実験的にチャットボットに文章を書いてもらっただけで、同じテーマで私も書いてみようとは思っていなかった。 だから、私は彼の文章を読んだ上で自分の文章を書いている。 彼の文章は少なからず、私の文章にも影響を与えている。 それにしても3000文字程度の文章になるとは思っていなかった。 自分で決めたテーマなのに、私自身がそれを破っている。 どこまでもフェアではない。 ずぶの素人が総

          私、そして私(後編)

          日常

          目が覚めた時は暗闇だった。 私の起床は早い。 目覚ましは朝5時にセットしてあるが、目覚ましが鳴るまで寝ていることはまずない。 起きて時計を見れば、だいたい4時半前後。 日の出の早い真夏のこの時期でも、さすがに空は暗い。 きっと今もそのくらいの時間なんだろうと思った。 寝室のドアをあけて廊下に出る。 思いのほか明るいことに驚く。 日は出ていないとは思ったが、寝室よりは明るかった。 台風の接近で、普段は閉めていない雨戸を閉めていたことを思い出す。 窓を開けて外を確かめる。 そ

          青の余韻

          台風が去った朝、街は静寂に包まれていた。昨夜までの喧騒が嘘のように、空には一片の雲もない。真っ青な空が広がり、まるで世界が洗い流されたかのようだ。 アスファルトの隙間から、小さな雑草が顔を覗かせている。昨日までの雨で、その緑は一層鮮やかに輝いていた。街路樹の葉は、朝日に照らされてキラキラと光っている。まるで、自然が都市の隙間から息を吹き返したかのようだ。 しかし、この静寂は長くは続かない。日が高くなるにつれ、街には人々の喧騒が戻ってくる。コンビニの自動ドアが開く音、自転車

          私、そして私(前編)

          右も左もAIの時代になったと思う。 触り始めた当初は、便利だね、程度の感想しかなかったが、AIが文字通り日進月歩の進化を遂げるのに合わせて…というにはあまりにもおこがましいが、私も人並みのスピードでAIに対しての理解を深めていく中で、ふと思いついた。 私好みの写真を撮ってくれるチャットボットを作れないだろうか、と。 私の撮影傾向を資料として提供し、自身の写真観を説明し…と思ったが、ちょっとめんどくさい。 いっそのこと、何もかもAIに任せることにした。 私が撮った写真、私

          私、そして私(前編)

          親と子

          思いのほか涼しかった。 お盆 真っ青な空 入道雲 蝉の啼く声 この時期に連想される、そのいずれもなかった。 台風の影響なのか風が強い。 曇天とまではいかないけれど、晴天ではない。 8月10日 朝9時過ぎ。 私、父親、母親の三人。 我々の他に墓参りに来ているのは片手で数える程度。 私はお盆に墓参りをするという習慣がない。 盆休みとは無縁の仕事をしていると言うのもあるし、それ以前に墓参りというものに前向きではない。 ふと思いついたときに、ふらりと来る。 そんな私がた

          偶像、肖像

          人当たりは良いほうだと思う。 それが100%私の本心ではないとしても。 「話しやすい」とは言われるほうだと思う。 それが100%相手の本心ではないとしても。 いつからそういう「私」だったんだろう。 社会人になってからな気はするけれど、中学1年の時に同級生の女子に言われたことを今思い出した。 さらに振り返れば小学校低学年の時にも似たような経験がある。 私は小柄だし、童顔だし、超絶なイケメンでは決してないから、そもそも内面云々以前に、外見からくる先入観として、そういうものが

          偶像、肖像

          私の理由

          たまたま隅田川花火大会の日だと知った。 近隣のいくつかの町でもこの週末は夏祭りが数多く開催されている。 このnoteでもちょいちょい触れることがあるけれど、何かの節目に、過去を何となく振り返ることがある。 振り返ろうとして振り返っているわけではなく、脳が勝手に引き出しをあけている。 開けられた引き出しからは色々な思い出が顔を出す。 ほのかに香るようにその姿を見せることもあれば、鉄砲水のように暴力的な登場をすることもある。 去年の今頃もやはり何かを思い出していた。 そ

          老いと歩む

          隣でトレーを置く音がした。 叩きつけるというほどではないが、強い音。 その音から、私は抗議の意思を感じた。 某ファーストフード店。 食事を終えた私は、トレーを所定の位置に戻し、ごみを分別しながら片づけていた。 隣でトレーを置いたのは女子高生だった。 ちらりとしか目をやらなかったが、たぶん高校2年だろうと勝手に思った。 高校生といえども年を取る。 高校3年生は、高校という狭いコミュニティの中で最も上位に位置する立場。どこかそれなりの風格がある。 一方で高校1年生には、どこ

          老いと歩む

          焙煎所にて

          起床 3時15分。 久しぶりに始発に乗った。 朝4時47分発。 こんな時間の電車に誰が乗るのかと思いきや、意外に乗客がいた。 それでも、もちろん座れないわけではない。 気温は既に28℃。 電車の窓は開いていなかった。 コロナがある程度終息しても、電車の窓は開いていた気がするが、この猛暑である。 換気よりもエアコンの効率を優先したのかもしれない。 乗った始発は各駅停車だった。 膨大な駅数のこの路線で、各駅停車に乗ることは、まずない。 数年ぶりの乗車な気がする。 普段乗ら

          焙煎所にて

          祭礼を歩く

          私が外を歩いていた昼の12時前後は32℃程度だったらしい。 体感的には、もっと暑かったように思う。 歩いていて息苦しさを感じるほどの暑さというのも久しぶりである。 七夕の日。 まだ梅雨の真っ最中とは思えぬ暑さ。 私が住む街ではこの時期に祭礼が多い。 時期が時期なだけに、ほぼ確実に雨に見舞われる。 雨と蒸し暑さ。そして祭りの熱気。 こうして文字にするだけでも、何やら息苦しさを覚えるが、今年はどうやら雨の代わりに猛暑に見舞われたらしい。 何もこんな時期にやらなくとも、という

          祭礼を歩く