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映画「ナポレオン」予告解説2

こんにちは! 架空書店「鹿書房」店主、伍月鹿です
本日も映画「ナポレオン」の予告をまじまじと鑑賞して、妄想と考察を繰り広げた解説の続きです
前回同様、素人のざっくり知識ご容赦くださいませ




◆スフィンクスやピラミッドを前に闘うフランス軍

1798年ギザのピラミッドの戦いの様子かと思われます
予告で映るアングルはレオン・ジェロームの「スフィンクスの前のナポレオン」再現ですね

前回、トゥーロンやパリ市内の反乱にて功績を認められたナポレオンの様子を語らせていただきました
彼は1796年にイタリア派遣軍司令官へ任命され、「イタリア戦役」と呼ばれる神聖ローマ帝国との戦いのためにカイロやイタリアに向かいます
ここで有名なのが、ロディアルコレリヴォリなどの輝かしい勝利

ロディでは、橋を挟んだ激しい砲撃戦が繰り広げられます
陸軍士官学校の砲兵科出身のナポレオンが、照準を自ら修正した話が有名です
フランス兵は狭く簡素な橋の入り口に辿り着きますが、対岸からの敵の一斉射撃を受けて、一般の兵士の足が止まります
しかし、そこに何人もの上級士官が飛び出し、橋を渡り始めたことで戦況が変化することになりました
旗を持ってナポレオン自らも走ったとされてますが、それはナポレオンが後に作った「伝説」という説も。実際に突撃に参加したのはアルコレという話や、アルコレでも途中で足を滑らせて、誰かがそれに気づかなければそれで死んでいた説など、つっこみどころは満載な意味でも有名な戦役です

ロディではマッセナやベルティエ、ランヌ、オージュローなど、以降ナポレオン戦争に欠かせない名前が無数に登場します
特にのちにナポレオンの優秀な参謀長になったベルティエも、このときに橋を走ったという話は熱い(勿論所説あります)
またイタリア戦役に参加した人間は、小柄で見た目も陰気なナポレオンを指揮官として認め「小伍長」なんてあだ名をつけて呼んだそうです

それらの戦いで「第一次対仏大同盟」は崩壊することになりますが、ころころと政府や権力者が変わるフランスは混沌した状況
当時の政府はナポレオンを持て余し、閑職を与え彼から軍人としての誇りすら奪い去ろうとします
そこでナポレオンは、対イギリスへの活路を開くという名目で「エジプト遠征」を計画します
予告の中にある「私の才能が活かされていない」という台詞はそのあたりのものではないかなあと予想

アレキサンドリアの街を占領したナポレオンは、カイロへ向かい、有名な「4000年もの歴史が君たちを見ている」という演説を行いました
一人ひとりが勇敢な戦士であったマムルーク兵も、訓練されたフランス軍の前に陥落
圧倒的な勝利を経て、ナポレオンはカイロの街を占拠することができました

師団ごとに軍が細分化され、師団長や将軍が指揮をするという戦い方は、いまなお受け継がれているものの一つのようです
各地でフランス軍と戦ったマムルーク兵たちには、戦場へ全財産を身に着けて出向くという習慣があったようです
まともな衣服もなく、物資の補給も十分ではなかったエジプト遠征
気温差が激しい砂漠で消耗してしまっていた兵士たちは、わざわざ川から死体を拾い上げてまで財宝を集めたという話です

しかし、気温差の激しい砂漠の行進は、イタリア戦役では勝利に繋がった素早い移動も、兵士を大きく消耗させることになりました
多くの兵が目を患い、エジプト滞在が長引くほどペストや性病などの流行り病も蔓延します
ナポレオンがペスト患者を見舞い、感染を恐れずに兵士を勇気づけたというエピソードも有名ですね
いまでも賛否両論のあるエジプト遠征は、その後の「ナポレオン神話」に大きく貢献することになった「伝説」のひとつです

エジプトの功労者はわたしの「推し」ドゼー将軍です
彼はナポレオンがカイロに入城したあと、更なる上エジプト制覇のために砂漠を進みます
副官を務めたサヴァリによると控えめで謙虚な人物であったドゼーですが、さすがの彼もナポレオンに不満の手紙を送るほど、限界状態のまま兵を動かしました

軍はこの砂漠をいなずまの速さで通り抜けぬ限り、潰滅してしまうだろう。数千人の人間の乾きをいやすべき水は見当たらない……。総司令官、願わくは小官をかかる情況下に放置しないで頂きたい。部隊は士気沮喪し、不平をならしている。われらに全速力の前進か後退かどちらかを命じてほしい

「東方の夢―ボナパルト、エジプトへ征く」両角 良彦


これらの文章からもいかにエジプトが過酷で、多くの兵を犠牲にしたことがわかります

また、映画の中心エピソードらしいジョセフィーヌとの関係ですが、
エジプト遠征中に彼女が浮気をした話も有名
それらのいざこざがバレるシーンや、本国との手紙をイギリス海軍に奪われ、面白おかしく公表されてしまう話など、エジプト遠征は話題に事欠きません


◆「多数決だな」

おそらくナポレオンが政治の世界に足を踏み入れるきっかけのクーデターの様子です

1799年アブキールの戦いでオスマン帝国に勝利したナポレオンは、翌月に数名の側近だけ連れてエジプトを脱出
総裁政府の無能さにクーデターを画策したシエイエスと手を組み、「ブリュメール18日のクーデター」を計画します

このあたりの政治的動きはいろいろな人間関係や陰謀、議員の生き残りをかけた臨機応変な行動など、それだけで一本の映画が作れそうなほど劇的です。裏で操るタレーランやカメレオンのフーシェカンバセレスなど、わくわくするような人物が多く登場します
映画ではおそらくそこまでスポットライトをあてることができないのではないかと思うので今回は割愛
(フランスで映画を作ったらこのあたりがじっくり描かれそうな勝手なイメージがあります。フランス版も見たいなあ)
エジプト遠征中は夫婦仲の危機に陥ったジョセフィーヌでしたが、彼女の交友関係がナポレオンのクーデターにも役立ったという話もあります

「五百人会議」の討論が長引くことに苛立ったナポレオンは、自ら会議に出向きますが、議員たちにもみくちゃにされ、命の危険を感じます
そこでナポレオンを救ったのが議長を務めたリュシアン
彼はナポレオンのサーベルを引き抜くと「たとえ自分の兄であっても、国民から自由を奪うようなことがあれば、そのときは胸を突き刺す」と周囲に宣言します
むちゃくちゃかっこよくて熱いシーンの一つです
ですが、このとき、リュシアンは議会に参加する資格のない年齢を偽っていたとされています
ナポレオンも結婚の際に兄より年上だとサバ読んだという話ですし、権力を得る為にいろいろやってるボナパルト兄弟……。いかに混沌としていた時代だったかも感じられますね


◆戴冠式

1804年12月2日、ナポレオンの戴冠式が行われます

クーデターが成功し、執政政府を樹立したフランスは、ナポレオン含む三人の執政による政治が始まります
しかし、方針についての食い違いがあった三人
軍事的地位のあるナポレオンのような行動派が市民にも期待されていたこともあり、最終的には、第一執政だったナポレオンが実績を握ることになります

1800年「マレンゴの戦い」でハプスブルク帝国に勝利したナポレオンは、市民からの人気も得て、自らの皇帝への道に邪魔なものを排除する動きをするようになります
オペラに向かう途中の道に爆弾をしかけられ、あわよくば暗殺されかかった事件もこの頃の話です
疑惑の国民投票によって自らを「終身執政」としたナポレオンは、帝政の開始を宣言
1804年、18人の元帥と国民皇帝が誕生します

ここでナポレオンは、最後まで彼にとって汚点となった「アンギャン公の処刑」を行います
このエピソードも映画で触れられるのではないかと、個人的には思っています

こちらは歴史に残る冤罪事件ともいわれています
ナポレオンの誘拐などの陰謀に関与したとして、ブルボン家の末裔であるアンギャン公(ルイ・アントワーヌ・アンリ・ド・ブルボン=コンデ)は逮捕されてしまいます
ミュラやタレーラン、コーランクールやサヴァリなどのナポレオンに忠実な者の手によって形ばかりの裁判が行われ、真相が曖昧なまま大急ぎで処刑が実行されます
以降、ナポレオンは「王党派」(王政復古を望む思想)との深い確執を持つことになります

警察大臣として名を知られているサヴァリ
ナポレオンの犬として恐れられた彼は、最後までナポレオンに忠誠を誓い、ナポレオンが皇帝になってからも彼にとって都合の悪い人間を逮捕するなど国民統制に貢献します
ナポレオンが国外追放されたときには随行を許されなかったようで、その様子はラス・カーズによる『セントヘレナにおけるナポレオン回想録』でも記載されていました

繰り返しにはなりますがわたしの「推し」のラップ将軍とサヴァリは、ドゼーの副官を務めていました
彼らはエジプトやマレンゴの戦いでドゼーと共に戦いましたが、マレンゴで掛け替えのない上司を失います
しかし、その翌日に二人は第一執政の副官に任命され、ナポレオンに忠実を誓うようになったようです
ドゼーとナポレオンは深い友人関係にあり、ナポレオンは最期までドゼーの死を嘆く言動を繰り返しました。彼の部下を拾ったのもそんな理由があったからなのでしょうか

当時、各将軍に何人くらいの副官がいたとか、サヴァリとラップ以外のドゼーの元で働いていた人間がどうなったかだとか、そういった細かい情報はまだわからないのですが、これって結構「出来すぎ」な話のように聞こえませんか?
優秀な上司が戦死し、この先どうしよう……と思っていたら、一番偉い人に拾われる。そんなシンデレラストーリーがこの二人には訪れたのです
わたしが沼地でもがいているのは、そんな稀有な経歴おいしい……という非常にマニアックなところが入口だったという告白をここでさせていただきます

サヴァリの伝記によると、ラップ将軍は病気でマレンゴ欠席していたそうです。しかし、英語圏の資料を見ているとドゼーはラップの腕の中(!)で息絶えたことになっています
こういう伝説が残ってしまうほど、わたしのように奇跡の経歴うまうまと思う人が多く、名を遺してくれたのだと思うと、先人のナポレオン研究者様には頭が上がりません

サヴァリの伝記は日本語訳おろか英訳すら見かけないので、その辺りはいつか詳しく読み解きたいです
(ラップ将軍の伝記はマレンゴの詳しい描写がないのです)
(ドゼーが死んだ瞬間を誰も知らず、軍服を着てなかった彼は味方の誤射に倒れたという説も。腕の中云々はどこからきたのか本当に謎です)

その後、警察大臣として働いたサヴァリには武功らしいものがあまり残っていませんが(スペイン戦争でミュラの代わりを務めたことはあるようです)「口述筆記が苦手」と漏らしているラップ将軍は、その後もいくつもの戦いに参加し、ナポレオンにとって最後の勝利を与えた人物とされています
階級社会の中でどちらがどう出世したのかは、一言に判断し難いです
しかし、対照的な二人の運命でありながら、エトワール凱旋門でも名が近くに刻まれた二人
彼らを勝手に「同僚」として扱っていると、いろいろな発見があって大変楽しいです

18人の元帥に関しても、語るところや注目ポイント満載です
日本でもゲームになったり、いまでも様々な題材に使われたりと、名前は見聞きする機会もあるのではないかと思います

登場人物や演じる俳優様が判明次第、そのあたりも語りたいなあと考えております

つい本筋とは関係ないところが長くなってしまいましたが、次回最終回の予定です。よろしくお願いいたします

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