見出し画像

#7 スキークラウンホルダーインタビュー 高校での陸上競技の経験を活かし、大学4年で2級からクラウン合格!!【小林 浩輔さん】

【今回のスキークラウンホルダーは…】

「技術選のテープなんかは実際にすりきれるくらい見てました。陸上をやっていたので、骨とか筋肉とかの動きに注目して見るわけですが、ずっと見てると人体模型が滑ってるように見えるんです。だから『こう滑るには、骨をこう動かすイメージ、筋肉をこう動かすイメージ…』とすごく体の動きを考える事が出来たんですね。(中略)雪国出身の方にスキーで勝とうと思うと、違うアプローチが必要だと思うんですよね。」
そう語る小林さんのスキー観に迫ります。
※小林さんはnoteで「<スキー>クラウンプライズ取得記」という記事を書かれています。

【クラウンホルダーにこんなこと聞きました!】

①クラウンプライズの合格証を見せてください!

→すいません、速攻紛失しました。

②いまの年齢を教えてください。

→44歳

③お住まいはどちらですか?

→東京都
出身も東京です。親の仕事の関係で静岡に住んでいた時期もありましたが。
 

④初めてスキーしたのはいつですか?

→12歳
祖母が北海道にいたので遊びに行ったときに、試しにやってみたのがスキーの始まりですね。
 
Q:ご家族でスキーに行くという感じではなかったのですか?
→母が北海道出身で、母方の祖父母が北海道にいたんですね。で、母方の方はスキーをする家族ではありました。でも、それほどスキーを熱心に連れて行ってくれるとかってことではなくて、高校の卒業旅行とかも含めて、大学入るまで合計でも10日くらいしか行ってなかったですね。
 
Q:子供の頃は何かスポーツをされていましたか?
→高校まで陸上で長距離をしていましたね。高校はインターハイ結局出れませんでしたが、そこを目指すレベルでかなりハードに取り組んでいました。
 

⑤スキーを本格的に始めたのはいつですか?

→18歳(大学1年生)
 
Q:元々陸上を熱心にやられていたのに、なぜ大学でスキーに転向されたんですか?
→今年は箱根駅伝に出場している母校の立教大学ですが、当時はかなり練習の雰囲気はゆるくて、箱根駅伝なんて出れるようなレベルではなかったんですね。で、何かやるなら本気で取り組めるようなものがいいなというのがまずありました。で、そのときたまたまタバコのCMで、スキーで崖の斜面を滑るような映像があって、「カッコいい!」って思ったんですね。それで直感的にスキーをやろう!ってなりました。
 
Q:当時はスノーボードも凄く人気でしたが、ボードに行こうとは思わなかったんですか?
→当時は、せっかくなら飛んで跳ねて「いぇ~い!」とかじゃなく、全国で何位とか技術の向上を目指せるものがやりたい、と思いましたね。スノーボードもちゃんと調べれば、そういうものもあったかと思うんですが、当時はそういう認識がなかったんですよね。
 
Q:大学は何かスキーのサークルや部活には入られたんですか?
→はい、スキーサークルに入っていました。今はもうないのですが、とても厳しいサークルで、立教の中で野球部、応援団と並んで3大ハード組織と呼ばれているようなところですね。先輩から怒鳴られ、「はい」としか言えないそんなサークルでした(笑)
 
Q:なんでそのスキーサークルに入ろうと思ったんですか?
→新歓で色んなスキーサークルを回っていって「どこのスキーサークルが一番上手くなれますか?」と聞いたら、誰に聞いてもそこだよと言ってたんです。でも「凄く体育会系だからやめといたほうがいいよ」とも言われましたけどね(笑)実際めちゃくちゃ厳しかったんですが、でも僕にはそれが良かったかなと思ってますね。凄く厳しかったからこそ、大学在学中にクラウンまで取ることが出来たのかなと思うんです。
 
Q:大学でスキーを本格的に始められてどのタイミングでクラウンを意識されたんですか?
→大学でスキーをやると決めて、最初は指導員が一番上だと思ってました。でも、準指導員から指導員までは3年時間を空けないといけない、そうなると卒業までに指導員は取れないなぁと。そしたら大学の先輩にテクニカルを持ってる方がお二人いて、その人たちに話を聞いたら、準指導員→指導員という道以外に、テクニカル→クラウンという道もあるということを教えてもらい、それでクラウンを目指そうと思いましたね。
 
Q:大学入学後、合宿までに陸上トレーニングだったり、座学があったりしました?夏場はどんな活動をされるんですか?
→夏場もトレーニングが週3回くらいありましたね。筋トレしたり、声出して走ったり、イメージトレーニングしたり、スキーの動きをする時間とかがあったと思います。それから雨の日なんかは座学で、先輩からどういう軸でどう体を使うのか?とかを教えてもらいましたね。自分でもスキージャーナルとかスキー関連の雑誌を買って読んだり、ビデオをダビングして繰り返し見たりとかはしてました。あとは、大学の図書館で骨とか関節とかそういう本を見て読んで、体の動きとかを独学で勉強したりもしていました。体の筋肉の部位がスキーをする上でどう連動するかはよく勉強しましたね。
 
Q::夏場のイメージトレーニングの成果はシーズンインで発揮されましたか?
そうした滑るイメージをみっちり頭に入れてシーズンインしたんですが、やはり全然イメージ通りには滑れませんでした(笑)イメージしていたことの10%も出来なかったですかね。でも、色んな滑りのイメージがあったのは良かったのかなと思います。
 
Q:上級生になってからも、座学や筋トレは引き続きやられていたんですか?
→やってましたね。技術選のテープなんかは実際にすりきれるくらい見てました。ビデオを見るというのは練習として凄く良かったなと思います。骨とか筋肉とかの動きに注目して見るわけですが、ずっと見てると人体模型が滑ってるように見えるんです。だから「こう滑るには、骨をこう動かすイメージ、筋肉をこう動かすイメージ…」とすごく体の動きを考える事が出来たんですね。で、そのイメージを実行できるだけの体作りを夏場にかけて行う、とそんな感じでしたね。雪国出身の方にスキーで勝とうと思うと、違うアプローチが必要だと思うんですよね。僕は脚力には自信があったので、それを活かす滑りをしていこうと思っていました。スキーの指導はともすると指摘だけになりがちですが、そうするためにはどうしたらいいかそこを自分で考えて色々滑ってたというのはありますね。
 

⑥-1 2級とったのはいつですか?/どこで取りましたか?

→大学1年生の12月末(札幌国際スキー場)
 
-2 何回目のチャレンジですか?
→2回目
 
Q:1回目で不合格となった時にどう2回目はリカバリーされたんですか?
→1回目の時に小回りが出来なくて、それからもうひたすら朝から夕方まで小回りを滑り続けましたね。
その成果が出たというのと、2回目を札幌国際スキー場で受けたのも大きかったですね。その日僕以外に中学生も受けててその子も受かったんですが、なんというか少し検定の基準が緩かったというのもありますね。それから北海道の雪が滑りやすかったというのもあります。ただ2級を手土産にクラブに帰ったら「北海道の雪で滑っての合格はずるい」と色々ケチをつけられましたね(笑)

⑦-1 1級とったのはいつですか?/どこで取りましたか?

→大学2年生の12月(志賀高原スキー場)
 
-2 何回目のチャレンジですか?
→3回目

⑧-1 テクニカルとったのはいつですか?/どこで取りましたか?

→大学3年生の1月(野辺山スキー場)
 
-2 何回目のチャレンジですか?
→1回目

⑨-1 クラウンとったのはいつですか?/どこで取りましたか?

→大学4年生の1月(野沢温泉スキー場)
 
-2 何回目のチャレンジですか?
→2回目
 
Q:クラウン取得に至った要因として何が大きかったと思いますか?
→一つ大きかったのはカービングスキーに変わるタイミングですね。ノーマルスキーから移行する人はなかなかその癖が抜けきらなくて苦労している印象がありました。僕はスタートがカービングだったので、その修正をする必要がなかったんです。
 
それと、板を走らせるという観点でカービングスキーの方が脚力を必要とされると思うのですが、その意味で僕は相性も良かったのかなと思います。
 
あとは、僕はやると決めたことはやり遂げたいと思うので、「大学4年間の間にクラウンを絶対に取るんだ」と決めて取り組んだのも大きかったですね。クラウンで求められる基準に対して何が足りないのかを理解して、暗中模索ではあったけど、あらゆる手を使ってその溝を埋めていく努力をしていましたね。
それから大学3年生の時にオガサカのコーチで出口さんという方がいらっしゃって、そのコーチとの出会いとかタイミングも凄く恵まれたのかなとは思いますね。その頃は滑るたびにうまくなっていく気がしました。
 
Q:クラウン取得で足踏みしている人は何が課題になってると思いますか
→万能性というかどんな状況でも上手く滑れる能力ですかね。同期とかでも、ある限定された状況で「こいつのこのターンめっちゃ上手い!」とかって「これは勝てない」と思うことがあるんですね。でも、クラウンは急斜面の不整地とか大回りとかクラウンはありとあらゆるシチュエーションでの総合的な上手さが求められるので、それを満たしていない。楽しい、気持ちいいシチュエーションでしか滑ってないと1級まではいくけどその先が難しいということかなと思います。なので僕は、当時、バックル外したり、ストックを持たないで滑ったり、自分で制限を設けて練習したりしてました。

⑩年間滑走日数は何日ですか?

→当時は年間110日程度でした。
 
Q:1年目から年間110日滑る環境はどうやって作られたんですか?
→学校のテストが1月に終わって、1カ月弱くらいは戸狩で居候をしていました。サークルで代々受け継がれている宿が10個くらいあるんですね。それぞれ条件が違ってて、仕事大変だけど稼げるとことか、逆にたくさん滑れるとことかあるんです。被った場合は先輩・後輩関係なしにじゃんけんで決まるシステムなんです。僕はたくさん滑れると評判の宿にしたんです。でも1年目は丁度長野オリンピックの年で、野沢温泉でバイアスロンの試合とかがあったんですね、それで警察とかが一杯動員されて、40人のキャパの宿に60人の人が詰めかけたもんだから大変でした。朝3時に起きて4時のご飯の準備をするという過酷な生活でしたね。
 
毎年、その1人合宿があった後に、今度は2月からクラブの合宿で大会の連戦があって、岩岳の大会とか3月後半までそれが続く感じですね。
 
Q:どうやって大学を卒業したんですか?
→比較的出席しなくても単位が取れる学部に入ってました。なので、あまり出席とかはせず、試験のタイミングでノートを集めてなんとかする、という感じでしたね。

⑪ホームゲレンデはありますか?/どこのスキー場ですか?

→当時は蔵王温泉スキー場の蔵王スキー学校で働いていました。スキースクールでアシスタントをしながら、インストラクターの方に教えてもらったり、空き時間とかで研修もしてもらいましたね。現在は子供を連れて主に川場スキー場に行っています。

⑫スキーにはどうやって行きますか?車/電車/バス?

→車

⑬定宿はありますか?

→川場スキー場に行くときはありますが、他は様々なペンションを転々としています。

⑭普段は誰と行きますか?

→家族(妻はスキークラブの同級生で1級です)

⑮クラブやサークルには入っていますか?

→現在は入っておりません。
学生時代は岩岳の上位を目指すスキークラブに所属していました

⑯レッスンは受けていますか?特定のコーチがいますか?

→現在は受けていないです。
影響を受けたコーチは、学生時代にオガサカのコーチで出口さんという方がいらっしゃって大変勉強になりました。

⑰年間スキーに使うお金は?

→学生時代は年間150万円くらい捻出していたと思います。そのお金は基本バイトで捻出していましたね。所属していたスキーサークルに代々受け継がれる稼ぎのいいバイトがあって、それをやっていました。深夜の肉体労働も山ほどやりましたね。だから、大学時代はスキーの練習かトレーニングかバイト、という生活でしたね。現在は省エネです!

⑱スキーをするために仕事や家族の理解を得るように工夫していますか?

→今は、子供(6歳)が楽しくスキーできるように心がけています。スキーを子供には教えはしていますが、そんなスパルタではないですね。基本ずっと褒めるスタンスです(笑)

⑲クラウン取ってから スキーへの取り組み方/楽しみ方は変わりましたか?

→大学1年生の時にスキーを始めて、「大学在学中にクラウンを取る!」と決めて、実際に達成できて安心したのを覚えています。今は競技志向ではないですが、在学中にとれていなかったらチャレンジを続けていたと思います。クラウンを取れて点数を取る滑りからスキー自体を楽しむ方向に変わったように思います。"
 
Q:レジャースキーしてみたことはありますか?
→あります。社会人になってからは5年目くらいまで、年間20~30日くらいは滑ってましたが、この内10日間くらいは会社の同期とか先輩とかとレジャースキーに行ってましたね。大半はスノーボードなんですが、同期20~30人くらいで行ってましたね。全部で100人くらいで雪山に行くとかって企画を自分で率先してやったりみたいなこともありました。僕はお風呂とかご飯とかも含めてレジャースキーを普通に楽しめますね。
 
Q:皆さん、小林さんのスキーの上手さに驚かれたのでは?
→みんなからすると半端なく上手く見えるみたいですね。いわゆる「釣りバカ日誌」みたいな感じで、会社の上司、先輩、偉い人とかにも、ゲレンデでは自分が先生みたいな感じになりました(笑)反対に僕は、スキースクールで働いてた時に、初級、中級とかを教えていたので、人にスキーを教えるのに特に違和感もないですね。
 
Q:スキーを辞めてた時期はありますか?
→ほぼないですね。37歳の時に子供が生まれたんですが、子供が0歳、1歳の時以外は基本的に行ってますね。子供も2歳の時にスキーに連れて行きました。今も10日間くらいレジャースキーしています。ただスキー仲間と行くと、やっぱりビデオを撮って、スキーの動きがあーだこーだ言って話したりはしています。スキー上達という意味もありますが、どちらかというと記念ビデオに近いかもしれませんね。
あとは山田卓也さんのキャンプに2010年に参加しましたね。後輩がその前に参加していて「山田卓也さん最高!」と言ってたので、どんなのだろうと思って妻と一緒に参加しました。このキャンプは凄く良くて、めちゃくちゃ上手くなった気がしました。もう一回競技スキーやろうかなと思うくらいでした。
 
Q:今はスキーよりもマラソンとかの方を一生懸命されている感じですか?
→そうですね、今はスキー場でも走っていますね(笑)学生時代とかって、クールダウンとしてランニングすると思うんですが、そんな感じでスキー場いって走ってくるみたいな感じですね。ちょっとひかれますけどね。でも、白馬で走ってると、同じように走ってるトッププロの方とかと会ったりするんですよね。
(今スキーよりもマラソンに夢中なのは)僕は結構根詰めてやってしまうタイプなんですね。で、そうするとスキーだと時間も労力もお金もかかってしまい、今は無理だなと。ただスキー自体は今でも凄く好きです。雪山に行って滑るという行為が普通に楽しいですね。でも、スキー場行っても吹雪いてたら帰ったりもします。それはスキーが嫌いになる環境では滑らないようにしようって決めてるからなんです。
今こうして余裕をもってスキーと向き合えてる一つの要因として、学生時代にクラウンを取れたというのはあるかと思いますね。もし社会人で今まさに獲ろうとしている最中だったら、こうはなってなかったなと思います。
 
Q:学生時代の仲間はスキーを続けていらっしゃいますか?
→基本的には続けていますが、僕の周りだとクラウン取った人でもスタンスは分かれますね。技術選出てガリガリやってる人もいれば、ある意味僕くらいの距離感の人もいますね。でも完全にやめる人はいないですね。今はスキーよりもめちゃくちゃゴルフやってるって人はいますけどね。
 
Q:今後のスキーへの付き合い方はどうなりそうですか?
→たしなむ程度になるかと思いますね。気持ち良い時間まで滑ってそれで終わって、無理に1日中滑らない、そういう感じですね。

【スキークラウンホルダーのアンケート回答まとめ】※年齢は2023年1月時点

【スキークラウンホルダーのキャリアまとめ】


【スキークラウンホルダーの話を聞いて…】

大学入学とともに本格的にスキーをはじめ、卒業までの僅か4年でクラウンまで取得された小林さん。
「やると決めたらどんな手を使ってでもやりきる」という意思の強さもさることながら、図書館に通って人体構造を独学で学び、その上で技術選のビデオを擦り切れるまで見て研究したという科学的なアプローチに、短期間で滑走技術を急速に高めることが出来たポイントがあると感じました。

この記事が参加している募集

この経験に学べ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?