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『どんな仕事にもストレスがある』という意見に対する理論的説明

「世の中に楽な仕事はない」と、就活生の時に誰かに言われた気がする。

これはある意味で、真理だ。

僕は無職を経験している。やってみるまで、無職はほんとうに楽だと予想していた。特に僕の場合、金銭的な不安はないので、なおさら気楽なものになるはず、という予感があった。

実際は、全然違って、毎日、生死について考えていた。

楽しかったのは、最初の一週間ぐらいである。

人間が凄いのは、どんな環境にも適応してしまう点だ。

どんなに過酷な環境もやがては、それが日常になる。

厄介なのは、それが逆方向にも当てはまる、という点である。つまり、天国のような環境でも、いずれはただの、ありふれた生活の一部になってしまう。

僕は転職をして、大きく人生の方向性を変えた。今は仕事のプレッシャーはないし(営業数字のプレッシャーはないが、生死を賭けるプレッシャーはある)、職場の人間関係も良好だ。

しかし、この前職と比べると、天国のような職場環境にも、転職して半年が経ち、慣れつつある。

職場に対しての不満が出てきた。


つまり、社長が尊敬できない、事務所がボロい、飲み会がだるい、といった点だ。

飲み会をクローズアップすると、その回数、時間的拘束の長さ、内容、強制性の有無など、全ての要素において、前職と比べて、大きく改善している。

にもかかわらず、やはり、不満が募っている。

このように、状況が改善しても、改善した状況がいずれはデフォルトになる。つまり、目の前で起こっている事態を認識する際の、基準が変わってしまう。

こういった文脈で考えると、人の悩みや不平不満には、終わりがない。

有効な解決方法は、定期的に過去を思い出すことや、期待値を下げることぐらいか。だから、辛い記録であっても、それを文章や映像にして、残していくことに意味があると、感じている。

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