アンチ人治主義
「こんなの常識だろう」「やって当たり前だろう」「お前がやるべきだろう」・・・
こんなことを口にする上司がいる。私は昔から「だったら前もって言っておけよ」と思っていた。
そして今、初級管理職になって改めて思う。それは、ただの甘えだ。
「常識」や「当たり前」などはどこまでいっても「主観的」なものだ。
「主観」をさもルールのように振り回し、部下に押し付けるのは、横暴でしかない。「主観」を振り回した結果訪れるのは、部下との「主観」の衝突、つまり感情の軋轢が生じるのだ。
この衝突を回避するためには、「主観」によるルール、つまり人治主義から「客観」、法治主義にシフトさせることだ。
そのためには、まずルールを明確にし、実効性をもって管理することだ。明確にするのは口頭ではなく、文字にすることだ。
文字にするのは、「なんとなく伝わった」という錯覚を減らすためだ。また、文字にすることで、いつでも誰でも共有できることになる。記憶などをあてにする方が間違いだ。人間なんて、都合のいいことしか認識しない生き物、その前提で行動を起こすべきだ。
主観を排して客観的なルールに基づいた職場環境を構築することこそが、私の役割だ。
部下が私の話を聞いてくれるのは、私のことが好きだからではない。そういう職階で、そういう役割を与えられているからだ。私自身、人間的魅力あふれる人間とも思っていない。であるならば、私がやるべきは、好かれようと努力するのではなく、職階に沿った業務に忠実になることだ。他人の感情をマネジメント使用すること自体がおこがましい。
主観を排し、客観にルールを求め、成果をもって証明する。それが私の仕事だ。
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