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街歩き #011 | 川崎市麻生区の旅

神奈川県川崎市麻生区

 こんにちは。本日ご紹介する街は「神奈川県川崎市麻生区」です。

 川崎市北部の小田急沿線の街・麻生区。1982年に多摩区から分割してできた比較的新しい区です。朝廷への貢ぎ物だった麻布の原料である麻を広く生産していた土地であることが区名由来。区の中心は新百合ヶ丘です。

 高台からの風景が気持ちよい高石神社・後白河法皇の第二皇女笹子姫伝説が伝わる法雲寺・源義経ゆかりの九郎明神社・本殿にも是非参拝して欲しい武州柿生琴平神社・日本最古の甘柿の禅師丸柿が発見された王禅寺など…。

 今回は「神奈川県川崎市麻生区」を歩きます。

百合ヶ丘駅

高石神社

高石神社

 小田急線百合ヶ丘駅から徒歩10分。丘の上にある神社が高石神社です。

 1654年加々美正吉創建。父の加々美正光は武田氏一族で1582年天目山の戦いで武田氏滅亡後に当地へ移住。88年徳川家康より当地に知行を賜りました。1922年村内の神社を合祀し高石神社に。

 駅前から高石神社までは結構急な坂道を上ります。GoogleMapで検索する場合は「高石神社 鳥居」と入力するといいですよ。「高石神社」で検索するとあらぬ方向に導かれてしまうので要注意です。

高石神社 鳥居

 鳥居をくぐり、境内に入ってからも最後の急な石段が待ち受けています。

高石神社 石段

 急な階段を上った先には、見晴らしの良い風景。苦労してここまで上ってきた甲斐があります。開放感のある空と社殿のコントラストがいいですね。

高石神社 本拝殿
高石神社からの眺望

 "お伊勢の森"と呼ばれる境内には多くの句碑も建立されています。

高石神社 石田波郷句碑

法雲寺(曹洞宗)

法雲寺 本堂

 高石神社から歩いて10分。法雲寺は住宅地の中にあるお寺です。

 江戸時代初期に加賀美正光開基。1177年鹿ヶ谷の陰謀で平家から逃れた後白河法皇第二皇女・笹子姫は当地に流れ着き隠棲。後白河法皇から授かった阿弥陀如来像を安置した堂宇が法雲寺の起源であるとも伝わります。

法雲寺 山門

 後白河法皇が平家討伐に動いた鹿ヶ谷の陰謀。計画は事前に発覚し関係者は処罰。後白河法皇も幽閉されてしまいます。この時に身の危険を感じた後白河法皇の第二皇女・笹子姫が、従者と共に武蔵国都筑郡古沢庄に流れ着いてきたというのが伝承の内容です。

法雲寺 参道

 この時に後白河法皇から授かってきたのが、当寺に安置されている阿弥陀如来像とも伝わります。お寺の案内板ではそのことについては触れられていません。

法雲寺 案内板

 境内には紅葉が色づき、秋の訪れを感じさせます。ちょうど境内では清掃の最中でした。丁寧に手入れのされた境内が心地よい。

法雲寺 参道
法雲寺 境内

 御朱印も御多忙な中、丁寧に御対応いただきました。

法雲寺 御朱印

栗木御嶽神社

栗木御嶽神社 本拝殿

 新百合ヶ丘駅から小田急多摩線に乗って栗平駅へ。区画整理事業によって開発された住宅地を10分ほど歩いたところに栗木御嶽神社があります。

 創建不詳。1919年元々当地に鎮座していた御嶽神社と八雲神社を合祀。1994年区画整理事業により現在地に遷座。

栗木御嶽神社 鳥居

 区画整理により開発された土地らしく広々とした境内ですね。近隣の数社を兼務しており、御朱印は当社にて頂くことができます。

栗木御嶽神社 本拝殿と社務所
栗木御嶽神社 御朱印

九郎明神社

九郎明神社 本殿

 小田急多摩線で栗平駅から五月台駅へ。駅から10分ほど歩いた場所に九郎明神社があります。

 創建不詳。御祭神は源義経。1180年頼朝挙兵に応じ奥州から黄瀬川の陣に駆けつける途中の義経が当地に逗留。村人から歓待を受けた義経は小刀と鉄扇を贈ったと伝わります。

九郎明神社 鳥居

 竹林に囲まれた境内が雰囲気ありますね。いかにも牛若丸・九郎義経といった感じでいいな。

九郎明神社 由緒案内板

 九郎明神社は源義経の伝承があるにも関わらず、参拝者はさほど多くありません。市街地から少し離れていますが、雰囲気のある神社です。御朱印は栗木御嶽神社にて頂きました。

九郎明神社 狛犬
九郎明神社 御朱印

武州柿生琴平神社

武州柿生琴平神社 本拝殿

 小田急多摩線の五月台駅から新百合ヶ丘駅に行き、そこからバスと歩きで30分ほど。野川柿生線沿いに武州柿生琴平神社があります。

 1570年神明社として創建。2代将軍秀忠の正室・崇源院(お江の方)の祈祷所であったとも伝わります。1826年志村文之丞が四国金刀比羅宮より勧請した琴平社を合祀。"柿生のこんぴらさん"として親しまれている神社です。

武州柿生琴平神社 儀式殿・社務所

 本殿へは急な階段があるため、本殿への参拝が困難な方でもお参りできるようにと建てられたのが儀式殿。バリアフリーの観点ですね。

 本殿は儀式殿から少し離れた小高い丘の上にあります。参拝できるのであれば、是非本殿への参拝もお勧めします。

武州柿生琴平神社 本殿への急な石段

 2007年不審者の放火により拝殿が焼失するという被害を受けました。本殿は蔵造りだったため御神体・御神宝は守られましたが、渡辺崋山の筆と伝わる天井画は全てを焼失することになりました。2011年に再建。

武州柿生琴平神社 本拝殿

 儀式殿の鳥居は高さ13mの大鳥居です。大きいので遠目からでもよく目立ちますね。1991年再建。

武州柿生琴平神社 大鳥居

 銭洗弁財天は1804年創建。元は王禅寺内に建立されていた社を遷座したものです。

武州柿生琴平神社 銭洗弁財天

 福寿稲荷は1824年創建。群馬県の嬬恋稲荷総社より勧請したものです。

武州柿生琴平神社 福寿稲荷

 境内社が美しく整備されており、大変賑やかですね。書き置きの御朱印を社務所にて頂戴しました。

武州柿生琴平神社 御朱印

王禅寺(真言宗豊山派)

王禅寺 本堂

 武州柿生琴平神社から歩いて10分ほど。周囲に自然が残された山中にあるお寺が王禅寺です。

 917年無空上人開山。寺号は醍醐天皇から賜ったと伝わります。三宗兼学で関東の高野山と呼ばれていました。1214年等海が山中で禅寺丸柿を発見。日本最古の甘柿発祥のお寺としても知られています。

 住宅地との境目にある東門から境内に入り、道を真っ直ぐに進みます。

王禅寺 東門

 進んだ先に仁王門があります。仁王門をくぐった先の石段をさらに上ります。

王禅寺 仁王門

 石段を上った先にあるのが観音堂です。

王禅寺 観音堂

 観音堂から道なりに進んだところに本堂があります。

王禅寺 本堂

 本堂脇には藪内佐斗司さん作の禅寺丸像があります。

王禅寺 禅師丸像

 日本最古の甘柿・禅寺丸柿は、1214年に寺院再建の資材を探している中で山中に自生しているものが発見されました。本堂前には禅師丸柿の原木があります。

王禅寺 禅師丸柿原木

 本堂前の一角にある薬師如来堂。1913年に合併し廃寺となった東円寺の御本尊・薬師如来像が安置されています。

王禅寺 薬師如来堂

 周囲は市街化区域にありますが、王禅寺一帯は特別緑地保全地区に指定。宅地化が進んでいる中でしっかりと自然が保全されています。王禅寺は今も山寺の雰囲気が保たれています。

王禅寺 境内

小さな旅の終わりに

新百合ヶ丘 川崎市アートセンター

 麻生区の中心・新百合ヶ丘。ターミナル駅として栄えている街です。この日は駅近くの川崎市アートセンターでしんゆり映画祭が開催されていました。近くに日本映画大学があることもあって、麻生区は映画・映像文化の街を目指しているとのこと。アートセンター前の街路樹の紅葉が美しい。

新百合ヶ丘駅
しんゆり映画祭 パンフレット

 1960年代に神奈川県最初の大型住宅地域として開発された百合ヶ丘。開発前は山ゆりが咲き乱れていたそうです。神奈川県花も山ゆりですね。高石神社への急な坂道から百合ヶ丘の街が一望できます。

百合ヶ丘 高石神社への坂道の途中

 当地に伝わる源義経と後白河法皇の第二皇女・笹子姫にまつわる伝承。どこまで真実味のある話なのかはよくわかりませんが、義経が笹子姫と対面し、平家の政治状況などの情報入手していたかもしれないなどと想像するだけでも面白いですね。

法雲寺 境内
九郎明神社 本殿

 禅寺丸柿発祥の王禅寺。かつての柿生は柿の名産地でした。江戸時代から栽培が広がり、明治時代末に最盛期を迎えます。1970年代には一旦市場から姿を消してしまうことに。今は国の登録記念物として保護が図られ、地元の直売所で手に入るかどうかという状況のようですね。

王禅寺 禅師丸柿原木

 Adele の6年ぶりの楽曲 ” Easy On Me "。グラミー賞にノミネートされている曲で、個人的には最優秀楽曲賞・レコード賞を受賞して欲しいなと思っている曲です。今回も6年前と同じくBeyoncéとの一騎打ちになっているのは何かの因縁を感じますね。

 サビの部分の ” Feel the world around me(周囲の状況を感じとって)I had no time to choose what I chose to do(選択すべきことを選択する余裕がなかったの)So go easy on me(だから許してちょうだいね)"。離婚を経験しているAdele。彼女の愛する息子に向けてのメッセージという解釈もできる曲。肌寒くなってきた今の時期、心に沁みる名曲です。


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