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早熟な起業経験(浪人時代編)
1社目の法人登記は30代ですが、いわゆる初マネタイズは19歳まで遡ります。
この経験が、自分の事業感覚の基礎を形成したと思います。
当時は大学受験に失敗し、郷里北国の田舎町でダラダラしておりました。
やることもなく無職も近所の目が気になるため、親の脛をかじって経理学校に通わせていただいておりました。
アルバイト時給が500円という時代です。
駅前の焼肉屋の厨房で、料理人に小突かれながらの皿洗いです。
1日あくせく働いても3500円
にしかなりません。
何の目標もなく未来も見えず、ただただ簿記の勉強とアルバイトに明け暮れる小僧でした。
そんな折に経理学校の同級生が「金稼がんか?」と声をかけてきました。
北国の寒村部には数えるほどのアルバイトしかなく、飲食店かせいぜいスーパーでの品出しくらいしかありません。
私は話半分で説明を聞いていると、何やら普通のバイトではない様子です。
友人のじいちゃんが、近所の方々(農家)に請われて、昔から害虫駆除の噴霧をやっているが歳で動けないから手伝ってくれというのです。
おもしろそうなのでその友人と2名で請け負うことにしました。
しばらく手伝って辛かったら辞めればいいやというノリでした。
しかし蓋を開けてみると
儲かる儲かる
10代の子供が北国の寒村部で得られる金額ではありませんでした。もちろん焼肉屋アルバイトはソッコーで辞めました。
顧客は村里離れた部屋数の多い農家大邸宅です。
田舎はとにかく虫が多いので、大小よくわからない害虫駆除を請け負うのですが、壁面に薬剤スプレーを吹きかけるとう軽微な作業です。壁面にへばりついた虫は薬剤の影響で死ぬのですが今思えば危険極まりないクスリだったのでしょう。
じいちゃんから基礎的やり方を教わった後は、自分で噴霧器や薬剤を海外から輸入して本格的に2名で事業を開始しました。
仕事は友人のばあちゃんが電話受注するシステムです。
(この当時はLINEもメールもありません)
発注は日夜止まらず、毎日山のように仕事が入るので施工先もこちらで選びたい放題です。
加えて、価格も定価がないので「この家は大きいから3万だ」などとノリで適当に決めていましたが、田舎の豪農はお金持ちが多かったこともあり、出し惜しみする様子もありません。支払いも現金で30分作業すれば1件3~4万程度になります。
1日4件程度で、友人のじいちゃんばあちゃんにお手伝い料を渡しても手元に1人10万残るわけです。
まさしくブルーオーシャンでした。
毎日仕事終わりに寿司や焼肉店を豪遊。数週間後にはその儲けで中古車(ホンダ アコード)を買いました。
継続的な発注、流す汗も喜びに溢れ、対価として相応以上の金銭を手に入れることができる。
さらに、休暇も業務時間も自身で選択できる。
田舎町の農道を、アコードのハンドルを握りながら
「あ〜自由だな〜」と感じた瞬間
です。
しかし、その様な無双感は夏の終わりと共に去り、このまま雪深い田舎町で一生を終えることに強く疑問を感じたため、
翌年東京の大学へ入学することになります。
そう、東京には害虫駆除ビジネスを超える自由が待っていると信じて!
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