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8.退院から奇跡へ

入院生活

酸素ボンベを付けた生活…
車椅子の生活…
そう言われても、ピンとこなかった。

4人部屋に移ってからもずっと点滴で、
食事もできず、水も飲む事を許されなくて。
痰が飲み込めなくて、唾もだめで、
ずっとティシュで取ってたもんだから、
いつもゴミ箱が満タン。

ただ症状としては、たぶん大変だった「山」は超えてて、
酸素ボンベの話しから2日後くらいには、
酸素マスクは取れてた。

呼吸も苦しい事はなかったけど、
依然として甲状腺の腫れは引かなくて
手術後に3日ほど寝てただけで、
これ程も体力って落ちるんだぁ。


入院してから1週間程で、体重は10キロ程落ちてて、
筋肉の衰えを肌で感じてました。

僕にとっての入院生活は、
想像を絶する大変さというより
感覚的にですが、
体がこの休養を求めてたと思ってました。


前にも書いたように、自分の体だからといって
無理をさせてたのだと思います。
家族の事も仕事も気になったけど、
とにかく今は体を休ませよう。


体が悲鳴をあげてて、それに僕自身は耳をかさずにいた。
体はもう限界で、それが病気として現れたんだ。
こうでもしないと、休むことなんてなかったから。

ひたすら、内観というか体のことを思ってた。

調子がいいとは決して言えなかったけど、
心はなぜだか穏やかでした。

4人部屋では、顔は合わせることがなかったのですが
看護師さんや家族の方との会話から
その方々どんな状態なのかよく分かりました。

(ここの部屋にいるみんなの病気が良くなりますように)


たぶん、そんな馬鹿な…って思われると思います。
信じてもらえないかもしれませんが、
ベットで横になってる期間、
僕がずっと心から思ってたのは、

「病気になって良かった」と。


母との事


話せば長くなるのですが、
僕には母との確執があって
僕自身は(幸せにならなくてもいい。)
って思ってたんです。


僕の事はいいから、家族が幸せでいてくれたら
それだけでいいと本当に思ってました。

親子の縁は切れる訳がないと思ってて、
結婚した時に何があっても、
守らなくてはいけないのは妻のことだと思ってました。

当時、本当に考えも若かったんです。
今思えば馬鹿だなぁ…って、思いますもん。
上手く立ち振る舞っていれたら、
なんの問題もない事だったのに。

僕は、10年前に父を癌で亡くしてます。
色んな事があって、母と疎遠になった為に、
下の双子の子ども達は父と会えていません。
間違えなく僕のせいで。

妻の方のご両親とは良好でしたが、
いつもどこかぽっかり穴が空いた感覚でした。

病気をする以前から、
精神の世界の勉強をしていました。
スピリチュアルというやつです。

それは商売をしてる事もあって、もちろん縁起とかも含めてなんですけど、本当は僕に空いたその穴を埋めたくて。
そして、僕のことを父親と呼んでくれる子供達の未来にちょっと気の利いた事を伝えてあげたくて。
色んな経験はしても、僕みたいな苦労はして欲しくない。
より良い人生を歩んで欲しい。
それがきっかけでした。


でも、必ず学びの行程である「両親に感謝」というところで必ず止まってしまうんです。そこから先に行けなかった。


でもね、
本当に病気を患ったお陰で、
また母に会えたんです。
昔みたいに話ができるようになったんです。
大の大人がですけどね。お恥ずかしい…。

たぶん天国にいる父も、それをずっと気がかりにしてたと思います。今もかもしれないけど。

だから、
『 病気に感謝 』出来たんです。

本当に心から思えました。

毎日、面会に来てくれて
車椅子の僕を、高齢の母が押してくれる。

こんな親不孝はないですけど、
全くする事が逆ですけど、
ありがたくて仕方なかった。

これも、病気のおかげ。
体を休められる事ができて、
家族の大切さも仕事の楽しさも、
お客さんのありがたさも
たくさんの事を改めて思えたのも、
病気のおかげ。

そう考えられたから、心が穏やかだったのだと思います。

もちろん、病院の先生方や看護師さん達が色んな事をして下さって快方に向かってたのも承知の上です。


病院の先生、看護師さんと
周りの人のおかげ。
僕は日々、回復に向かってました。


退院


かなり話は飛ぶのですが、
入院期間は半月くらいでした。

リハビリも頑張って、全く歩けない状態から、
体力は以前より劣っていましたが、
歩けるようにはなってました。
病院のベットに腰掛けて、
足踏みが出来たことに感動したもんです笑

相変わらず、甲状腺は腫れてて
疲れはありましたが、
気力は充実してしてました。


入院してから、1週間ほどは学びの先生に全く連絡できてなくて、全くスマホに触る気がしなくて、
心配してかけてたと思います。
プロフィールの画像をプロのカメラマンに撮ってもらいました。ってLINEがきてた。

本当は、症状の事とかが気になってたんでしょうけどね。
ありがたかったです。


病院の先生から、
「次の三連休に帰宅したければ、
帰っていただいてもいいですし、
このまま病院におられてもいいですけど、
どうしますか?」と言われました。

僕は、家族に会いたくて
「帰りたいです」って。

ただ、今の自分がどうなのか知りたい。
「今、僕の症状はどうなってるんですか?」
と聞きました。

「わかりました。では、お話ししますね」
と言って、別室で2人で話をしました。


すごく丁寧に話してくださった。
「今の現状ですが、肺に半分ほどの水が溜まってる影があります。心臓の方は水を抜いたので大丈夫ですが、
今後、この影が増えると、今度はこの肺の水を抜く手術をしないといけません。
また、喉を圧迫してる甲状腺の腫れがこのまま引かなければ、呼吸ができなくなって窒息します。そうなる前に、喉に穴を開けて呼吸をするようになります…」と。


身体が思うように動いてきてたものだから、
もっと快方に向かってると思ってた。

病気がわかって、2ヶ月半。
治療が始まって1ヶ月半。

怖かったけど全く落ち込まなかった。
たぶん、弱音も吐かなかった。

でも、さすがに
先生の話しが終わって、
(そんなに悪いんだ…)って。

一人でお昼ご飯を食べながら、
初めて泣きました。
病気がわかってから、ほんと初めて落ち込んだ。

でも、数分後には元の僕に戻ってた。
後にも先にも、落ち込んだのはこの時だけです。


先生とは、
三連休を終えた次の日に、
診察の予約をして一時退院。


その3日後、
僕に奇跡が起こったんです。



「 肺にあった影が無くなってた。」


2022.11.10







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