心の琴線に触れること❤️②
素敵なことばに出逢った
『僕にはわかっている
僕には過去を変えることはもちろんできないし
未来を変える力も持ち合わせていない
だけど 今のこの瞬間は僕のものだ
僕は現在は変えられる
現在はすぐに過去になる
現在を変えれば過去も変えられる
現在を変えれば未来が変わる
今のこの瞬間だけが僕のものだ
現在は美しい』
ドラマの中での台詞
素敵だな〜とその言葉を噛み締めた時
ふと 素敵だと感じてきた昔の記憶が心の琴線と共鳴し 呼び起こされた
小学校教師をしていた頃のこと
いつもの様に休み時間になると、子供達が教師用の机の周りに集まり私をぐるりと取り囲む。
調度気持ちの良い季節で窓から入る風が心地よく、何となく幸せだなぁと感じながら子どもたちの宿題に目を通していた気がする。
いつものように子ども達は、先生先生と聞いて欲しい話をそれぞれが口々に話し始める。
それを聖徳太子の様に同時に数人の話を聞き分け、それぞれと別々の会話を続ける笑←短い休み時間でどれだけ多くの子ども達と関われるのかも当時の私にはその日1日の教師としての満足度に繋がっていた。
それにしても五感を鍛えると色々な力が身につくものだと当時感じていた。最高7人くらいが口々に発する言葉を聞き取れていた気がする。残念ながらその能力は全く使わなくなり、退化してしまったけれども
その時、子ども達の自主学習ノートに目を通していた私は、『⚪︎⚪︎ちゃんこんなに詳しく調べてきたんだーうわぁー私にはここまでできないなぁ。本当にすごいなぁ』←誰を褒めたのかは思い出せなかった🙏
の様なことを呟いた。
するとそれまで自分の聞いてもらいたい話をひたすら話していた瑞稀ちゃんが、
突然え?と動きが固まり
『ねえねえ!今の聞いた?今先生がすっごく⚪︎⚪︎ちゃんのこと褒めたの!見て!これ本当にすごくない?』
と、興奮して全身で喜んでいる。
そして、私のそばから離れて教室の後ろの方に行き
『ねーねー⚪︎⚪︎ちゃんのノート凄いんだよ!先生がすっごく褒めてた!』
まるで自分が褒められたかのようにクラス中の仲間達に声をかけて回る瑞稀ちゃん
私はその瑞希ちゃんの ただただお友達がすごいと褒められて嬉しい 自分もすごいと感じて興奮している様子を見て、人として尊敬の念を抱き、言葉では表現できない心が感じた何とも言えない幸福感の様なものを思い出した
お友達の素晴らしさをこんなにも純粋に喜べるってなんて素敵なんだろう
そんな人と同じ時間を日々共有させてもらえる私はなんて幸せな仕事をしているんだろう
あの時の瑞稀ちゃんのあの表情はあまりにも私の心の奥の奥まで浸透して、過去の記憶なのにまるでその瞬間が永遠に続くくらいはっきりと私の脳なのか心なのかに刻まれ
それからもう月日がどれだけ流れてもそのシーンのことを忘れることはないのです
その瞬間が永遠になったかのように
美しいという心の琴線が動くと、同じ様に感じた過去の記憶も同時に奏でられる気がする
話は変わるけれども
たくさんの知識を持っている人も魅力的、外見の美しい人も魅力的、食器の美しい色も魅力的、順番に言い始めたら何時間でも言えるゲームにでもなりそうだ
私からしたらバリバリ働きイキイキしている人達を見ると素敵だなぁと思うと同時に、
私は今何もしていない。。
と、感じていた。
でも、素敵なことに触れた時、あの瑞稀ちゃんの様にただただ、その素敵を味わいうっとりすればいいんだ。
比べることも自分を卑下することも
それは美しいものではない。
素敵なことをただただ素敵だなと感じ、
私は私で自分の素敵さを見つけてそれを磨いていくことに気持ちを向ければ良いのだ。
こうしてnoteと向き合い発信していくことで自分にどんな変化が生まれるのかの実験を始めて3日目。
書けば書くほど、何かが変化してきているのを感じる。
noteを書かれている他の方の作品を読むと、まぁ何という知識!私の拙い作品を世に出して良いものか 自分の日記に書いておけばいいだけではないか
という気持ちが芽生えもしたけれど、
それも含めて実験なのだ。
もともと、こうしてこのnoteと出会えたのも、私に書くことを薦めてくれた友達のお陰。
書くと気持ちの整理がつくよ!
そして、ちょうど今私は言葉というものに、今までと違う角度からも興味を持っている。カタカムナ文字にたまたま出会ったからだ。
今が、書く、発信するタイミング。
背中を押してくれたさっちゃんありがとう😊
話はくるくると変わるけれども、
子ども達は現在という時間を扱うプロ
純粋に今を楽しんだり悲しんだりしている現在のプロ達は美しい
一緒に1日を過ごしていて、いつも気持ちよかった
人生の師だと感じる子ども達との出逢いも多かった
現在はどんな状況であれ、自分が変えられる唯一の瞬間
現在は美しい
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