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あんまり頑張れなかった過去のツケは必ず回ってくる

第二志望として受験した大学から、Application has been rejected と書かれたメールが届いた。高校の評定が基準に届いていないため、と書いてあり、とうとう自分が全力で努力してこれなかった過去3年間が、今になって悪い方向に全て向かってきていることが顕著になってきた。

もし、全力で取り組んでいたら、どんな結果でもそれを受け入れることができるし、縁がなかったんだな、ですぐ次に進めると思う。でも、あんまり頑張りすらしてこなかったら、悲しい、というよりも、やってしまった、という感じ、何にも自分、やってこなかったなみたいな、自分に呆れてしまう感じ。

高校3年間は、なんとなく勉強していて、あんまり本気で勉強できいなかったと思う。海外の大学に進学するには評定が重要だということは知っていたけれど、でも、全力で勉強してなかった。どこかで、なんとかなるでしょ、と思っていた自分がいつもいたし、なんとなくずっと精神的に不調な気がすると思い続けてた。高校で留学する、ということだけを考えて、日本から早く出たいとしか考えていなくて、目の前の勉強に集中していなかった。

目の前の、その時するべきだった努力を、できなかった代償は大きい。後悔も一生消えない。どんなに悔やんでも変わらないけれど、やっぱり思考停止してしまうくらいショックではある。

いつから私は、目の前の目標に対して結果を出すために頑張れなくなったんだろう。

ほとんどの人が受験に向けて、本気で勉強する高校3年間、私は本気で勉強できなかった。してなかった。

勉強だけじゃなくて、いろんなことに対して、小さな言い訳を積み重ねすぎて、今、取り返しのつかないくらい、自分が空っぽな人間になってしまった。成長したというより、年齢だけ重ねて、自分自身は退化した。

これからの数年も厳しくなると思う。今までの数年間何もできていなかったぶん。

自分は運がいいと思っていたけれど、違かった。するべき努力を正しい方法できちんとしていれば、必ず、後悔のない結果になる。それを昔はしていた。だから運じゃなかった。自分で貯めた、日々の少しの頑張りが、形になって見えてきていただけだった。

最悪だ。

自分が頑張れていないと、頑張っている人と比べて、その人の粗探しをし始める。自分もやってないけど、その人もやってないから大丈夫と思ってしまう。

自分の頑張りを自分の基準じゃなくて、人のものさして、人と比べることでしか測ってこなかった。人よりやっているから大丈夫の考えは、自分自身を見失わせるし、簡単に自分を壊してしまう。

何を言っても、どんなに泣いても、自分のせいだ。全部。自分しか、頑張ることができた自分しか、自分のことを救えない。

第一志望は、もっと絶望的だから、もう期待はしない。

これからの10年、10年先の自分が後悔しないためには、どう時間を使って、何を努力して生きていけばいいのか、今以上辛いことはないので、それをしっかり考えていきたい。

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