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人生何があるかわからない、と痛感した夕べ

前職の元社長は、2か月から3か月ごとに自分が選んだ書籍を幹部に配布していた。私はそれが楽しみで、毎回いただくとすぐに読んだ。

ほとんどは大いに共感する内容だったのだが、中には違和感を覚えるものもあった。その中の1冊が佐伯啓思の「反・幸福論」だった。

ご存知の通り佐伯啓思といえば、保守の立場から様々な事象を論じる社会思想家、京都大学の名誉教授である。

そんな著名な著者の書籍を読んだ、凡人である私の率直な感想は、「素直じゃない!」だったのだ。

かつては見向きもしなかった佐伯啓思だったのだが、最近になって朝日新聞の異論のススメを読んでみたところ、以前の違和感が全くなくなっていた。

佐伯啓思の論調が変わるはずがないので、これは間違いなく私に変化があったのだ。果たして、歳のせいで許容範囲が広がったのか、それとも遅まきに成長したのか、確かめてみないといけない。

ということで、佐伯啓思 著「反・幸福論」を読み直してみることにしたのだった。

書籍の感想は改めて投稿することとして、今回は書籍の内容の話ではない。

実は昨日、ちょうど死生観に関する部分を読み終えて、頭の整理をしているときに携帯の着信音がした。見てみるとかつて私の部下だったAくんからだった。彼からメールがあったのはおそらく半年ほど前である。

件名は「残念なお知らせです」。
それは部員のBくんの訃報だった。
一瞬意味がわからなかった。いまさらのエイプリル・フールではないかと思った。

4月7日にくも膜下出血で倒れ、そのまま意識が戻らないままに昨日の早朝3時半に他界したそうである。50歳だった。彼には幼い双子の子供もいるのに・・・。

彼はもともと私と同じ支店の他部署にいたのだが、一時本社勤務を経てある支店に異動になった。そして2022年9月、部員が異動になり要員が不足した私の部署に来てもらった。

私は、その後2023年3月末で退職したが、他の部員は1年7か月後の現在まで、彼と共に業務していた。

彼もすっかり現在の業務にも慣れ、担当者としての仕事もさまになってきたのにとても残念であると、メールで知らせてくれたAくんも悔やんでいた。

健康面でも何も問題のなかった彼が、今から5日前に元気に帰宅したのを最後に二度と会えなくなるなんて、本当に人生何があるかわからない。


ふと我に帰った私の手の中には、死生観にふれた記述部分を開いたままの佐伯啓思の「反・幸福論」があった。


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