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宮沢賢治 オツベルと象を読んで思う事

教科書にのっている有名な作品です。昔教科書で読んだ時には特別何も思わなかったのですが、大人になってからふと読んだら、ナニやら深い闇を感じずにはいられなかったです……。

ます、最後の「おや(一字不明)川に入っちゃいけないったら」という一行が謎じゃないですか。この物語は牛飼いが誰かに向かって語りかけている、という設定だと思うので、当然目の前の誰かに川に入っちゃいけないよ、と言っているだけだと思うんですけど、なんでこれを最後に持ってくるのか??
一字不明って、何が書いてあったんだろう?

宮沢賢治の作品の多くは亡くなってから有名になったみたいですね。

「銀河鉄道の夜」も、亡くなられてから原稿が発見されたようで、作中「以下数文字空白」とかちょこちょこ出てきますもんね。
未完成だったってことですよね。ということは、もしかしてもしかすると、全然違う物語になっていたかもしれないのですね。
そう考えると面白いです。

表現の自由が法律で守られている現代の日本は、小説を含めたさまざまな芸術において、本来の意図をわざと隠すことも表現の自由じゃないですか。

しかし、表現の自由もへったくれもない時代の精一杯の「表現」は、闇が深いというか、奥が深いというか、色々なことを想像してしまいますね。 

結局のところ、書いた本人にしかわからないことではあるのですが、「きっとこういうことなのではないか」と各々の感受性において考察を深めることはとても素敵な事だと思います。唯一のものを「これが正しい!!」という論調は、なんだか息苦しくなってしまいます。

白もあって、黒もあって、グレーもあるよ、なんなら世の中レインボー(七色)だよ、みたいな、
そういうのも素敵なんじゃないかなと思う今日このごろです。(白黒はっきりさせないといけない場面ももちろんありますが)

明日も平和な一日でありますように。




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