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【農業小説】第10話 循環という思想|農家の食卓

前回の話はコチラ!

最高の料理で旨いと唸る調理法を支えるために、僕たちはもっと根本的な問題に目を向けなければならないのではないだろうか? つまり僕たちのやっている農業はこの活動にふさわしいのかということだ。

地域の風土に根差したもの、それらを育むために慣行農法に始まり、減農薬栽培や有機栽培、あるいはオーガニック栽培などいろいろある。

いや? こうしたレッテルにとらわれていたから視野狭窄になっていたのではないだろうか。もっと俯瞰的に見ることが必要なのだ。

現に僕たちだって、酒米は減農薬で栽培しているし、野菜は自然栽培とバイオダイナミック農法やコンパニオンプランツを利用して栽培しているではないか。

理想的な農業というのは誰かが作った勝手なルールに縛られていてはいけないと思う。僕たちは農から入った人間ではない。マーケティングの視点を持って農業参入してきた。

だからユニークな農法をマーケティングのツールとして利用してきたけれども技術だけは蓄積してきたのだ。これを正しく使うために僕はどう動くべきなんだろう。

この飽食の時代に、本当に食べたいと思わせる料理を「農業」が生み出せるかどうかについて重要なことは、農家のマインドセットにかかっているように思うのだ。

僕たちは農産物を育てているけど、本当は「自然を育てること」あるいは「地域を育てること」が僕たちがやるべき究極のゴールなのではないのか。こうした気持ちがふつふつとどんどん大きくなってきたのだ。

自然を育てるとは大上段からの言いようのようだが、そうではない。自然のさらなる成長を手をかけて後押ししてあげるのだ。普段、森の中で過ごさない人にとってピンとこない言い分かもしれない。

しかし、自然の中で日々を過ごしていると体感としてわかるのだ。自然を増やすためにはコントロールを減らす必要があって、その実現には自然のもつ力を信頼しなければならない。

これは決して容易ではない。自然は人類にとって牙をむくこともある。しかし自然にとっては一つの営みでしかない。

だからこそ、農家にはイマジネーションを持つことが求められているように感じるのだ。僕たちが普段、自然が溢れていると思っている場所は修正や改善が必要な場所なのか、それとも観察結果を分析して推論だけしていくべき場所なのだろうか。

もしかすると、人間というのは驚くほど複雑な世界の環境下において脆弱なシステムの一部に過ぎないのか、それともそんな自然界における王様のような存在なのだろうか。

僕たちはあくまで「観察者」であり、自然の声に耳を傾け、コントロールしようとするべきではない。

自然を育て、自然のなせるままに従う農家の手に食の未来が委ねられているとするなら、自然を育てるということの意味について僕たちはもっと腹落ちしなければならないはずだ。

腹落ちというのは、まさに「お腹まで落とし込んだ」ことを指す。食べ物のように耳や目を通して頭に入ってきたものを、「お腹」で次々に消化するプロセスを経て、やっと「腹落ち」という状態になるのだ。

つまり、「頭で理解した」だけではダメだ。理解は、「腹落ち」というプロセスに至るまでのほんの初めの段階でしかないのだ。

こうして「腹に落ちした」状態になったのなら、やっと次のアクションに繋げられるようになるのだ。道は険しいものだ。頭には汗をかかさないとどんどん錆びてしまう。

つまり、「頭」と「腹」は比喩的な表現ながら、いくら物事を頭に入れても「概念的な理解」で満足している限りでは、実際のアクション(行動)には繋がりにくいのだ。

僕たちは往々にして、農業の持続可能性を計算するときに表面的なレベルに基づいてしか見てはいないのだ。だから農薬や肥料の使用の増加とか家畜の非人道的なやり方を改めるために代替策としてオーガニック商品の購入であったり、地域の食材にこだわったり、平飼いで育てた鶏肉からの肉や卵をありがたがるのだ。

数字というのは分かりやすい。具体的な結果を確認できるし、次のアクションは何%上下させようと目標も作れる。

でも、僕たちは何かを育てているという考え方はしないでおきたいんだ。「すべてのものは結びついていて循環している」というイマジネーションを持って、「それが当然の帰結なのかもしれない」そう思いたいのだ。

つまり自然を育てるために農業のシステム全体を調整していくわけだ。マスメディアに踊る言葉のように「革命」だの「改革」など、そんなドラスティックなところは目指さない。

しかし、「調整」というプロセスのなかで、きっと色々なものが生み出されていくだろう。旨い食べものだけではなくって、測定や確認が簡単でない課題もたくさんある。

でも、例えば僕たちのそんな活動が会計的に記帳されれば、 企業活動の総体をより正確に把握することに繋がるのではないのだろうか、株価や営業利益とはまた違った、新しい指標としての企業活動を評価するための情報基盤になり得るのではないのだろうか。

企業の活動というのは一般的に、ヒト、モノ、カネだけで回っているようなイメージがあるけれど、あらゆる企業活動においてすべからく自然資本を活用することなしには成立しえない。

だって企業活動はどこでやってるのかといえば地球上だから、僕たちは常に自然資本からのフローを利用して、その活動の結果として自然資本ストックの増加や減耗を伴うものしかないのだから。

僕はこうした教訓を圃場や森の中で常に学んだ。地球上には目の前に見えている地上だけではなく、地下(土壌のなか)も多様性で満ちあふれている世界なのだ。

僕のロールモデルになる農家の活動を目の当たりにして、ようやく腹落ちさせることができるようになったのだ。

自然の多様性というのは圃場や森の範囲に限定されないのだ。もっと、外へ外へと広がっていく…どのような個体群が形成するコミュニティであっても複雑な構造と広い影響力を備えている。

これが自然というシステム全体にとっては欠かせない存在なのだ。もしも僕が起業したばかりの頃にトウモロコシを紹介されても正当な価値を感じることができなかっただろうし、 経済的価値を見出せず単一栽培の経営を続けていただろう。

自然からの略奪を続けながら…

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