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【現代小説】金曜日の息子へ|第四話 戦うということ

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仕事が多忙にもかかわらず、長い手紙をくれてありがとう。

君が生まれてから長く一緒に過ごした京都の街のことをあれこれと思い出しては想像して、夢中になって一止の文字を目で追っていた俺は、久しぶりに自分が死の病に取り憑かれていることを忘れることができた。

俺の病状は、妻の話によれば快方に向かっているそうなんだけど、お手洗いに行った時なんかに鏡に映る自分を見ていると、とてもそうは思えない。頭痛の方は鎮痛剤か何かのおかげでさほどでもない。

さしたる苦痛を覚えることもなく死に向かっている俺は、令和という時代を過ごせる世代であることと、現代医学の発達に感謝しなければならないのかもしれない。ただ、そのせいで俺はどこか居場所のない状態に置かれているのも確かなことだろう。

世間はお盆とはいえ、今年は新型コロナウイルス感染症対策で実家に帰れない人も多かったと思う。俺はお盆明けにはリビング・ウィルへの登録を済ませたよ。

妻は、俺が死に向かって対応なければならない現実を受け容れたくないようで、説得するのにひどく骨が折れたよ。

これまで色々な土地を旅してきた俺だけど、どうやら今度の旅は長くなりそうだから、彼女を助けてやってほしい。いろいろと苦労を掛けた彼女にとても感謝しているのに、何も返せていない事実を俺は受け容れなければならない。

俺は生涯を通じて「考える」のをやめることができなかった人間だから、思考が停止した時にこの旅を最後にしたいと思ったのだ。

いまはまだ彼女も元気だし、君だって、俺が望めばすぐにまた宮崎空港に駆けつけてくれることだろう。でも、俺は人生を通じて学んだ経験から知っているつもりだ。人は時間がたてば変わってしまうものだということを。

手術後に俺が何の反応も示さず、それこそ植物のように何年もただ生き永らえたとしたら、妻や君がいまは愛情だと感じているものも、いつしか苛立ちや憎しみに変わってしまうだろうということを。

担当の医師から「危険な手術になる」と告げられた時、真っ先にイメージしたのはそうした光景だった。しかし、だからといって、俺たちが共有してきた感情が偽りのものだったとは誰にも言わせないつもりだ。

軽く、この病院のことを話しておく。

宮崎県立宮崎病院には小児科もあって、ここには白血病や脳腫瘍の子供たちがいる。難病に冒された子供たちを見るのはとても辛いことだ、君もすでに同じ思いを共有しているだろうが、君に子供ができたら想像もできないような苦しみになるだろう。

だから、俺の目には子供たちの両親のほうがひどく病んでいるように見えるのだ。君は、絶望していながら陽気に振る舞おうとする人たちを見たことがあるかい? それは日々の恐怖や先々への不安、それにかかわるすべての人の幸せを少しづつ蝕んでいくんだ。

この病院は完全看護体制をとっているので、親たちは午後の三時にやって来て七時には帰っていく。入院してから俺は親たちの姿を見て午後の時間を知るようになった。

病室を出た廊下の長椅子に腰をかけて子供たちの様子を眺めながら、俺は子供たちの年若い親たちと話をすることがある。子供たちの半数は長い管でベッドに繋がれていて、症状の重い子は寝返りさえ打たないそうだ。

そうした我が子を見守るお母さんは、何かの拍子に声を発すると、それだけで何日も生きる勇気をもらえるというのだ。

俺は仕事人間だったから君には父親らしいことを満足にしてあげられなかったけれど、君が生まれてからのほとんどを男手ひとつで育てたから、その話にはとても共感を覚えたし、まだ幼かった頃の君との思い出を呼び覚まされて、ふいに涙がこぼれそうになる。

君は覚えているかどうか定かではないけれど、君が生まれたときは重度のアレルギーがあったので、生まれてすぐに1か月以上も隔離されていたんだ。

それからはアレルギーと二人三脚で戦ってきたよね。

だからというわけではないけれど、こんなふうに長椅子に腰をかけて年齢や性別を超えた友情を育みながら俺は毎日、君と過ごす日々のいろいろなことを思い出しては微笑み、そして涙するのだ。

何度も思い返したのは、四十年近く前のある午後のことだ。俺の実家は洛西ニュータウンに引っ越したばかりで学校も新しかった。まだ夏休みだったから、その学校には通ったこともなかったけど下調べに行ってみたんだ。

その学校はそびえ立つ塀が取り囲んでいて、その踊り場に立ち俺を眺めていた女の子がいた。彼女が塀の上から俺を見下ろしながら、少し気にしている様子で目が合ったんだ。

ただそれだけのことだったんだけど、それから俺は何日も浮ついた気持ちで過ごしていた。君にもあったであろう初恋の話だ。もし彼女が話しかけてきたらどうしよう? 声をかけて無視されたらどうしよう?

まだ十歳だった俺は、そんな甘い空想だけで何日も生きていたんだ。お見舞いに通ってくる親たちの中にあるのも、これと似た感情なのではないだろうか。そんな親たちの何人かとは、いまでは友人同士だよ。戦友とは、こんな感じなのかもしれない。

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