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【エッセイ】死の話

【プロローグ】

はいどうも、お久しぶりです。
たまには更新します。

たまには文章を書く日があってもいいでしょう?
ちなみに全然暇ではないです。
むしろ過去1忙しいまである。
でも文章を書きたいのですから。
今日はそんな気分なのです。

ちなみに私は一人暮らしをしております。
一人暮らしなので当然自炊などをするわけです。
そこで作ったご飯はタッパーで小分けにして冷蔵庫に保存しています。

いつものように電子レンジで食べ物を温めようとしたところ、昨日作ったカレーが電子レンジから出てきました。
何日経ってるんでしょうね。
食べました。
出されたものは残さない人間なもので。
ちょっとお腹が痛いです。なぜでしょう?

では、目次へどうぞ。


【死について】

私の人生においての死について語ります。
齢19のくせしてなに言ってんだという話ですが語ります。
理由はふたつ。

①私は記憶力が驚くほどないから今の自分の思考を残しておきたい。

②希死念慮を感じ続けているから

①はともかく②は嘘です。
忘れてください。

私はなぜこのような嘘をついたのでしょうね?

テキトーな理由づけも済んだし死について今一度考えてみましょう。
あぁ”今一度”という言葉はよくない、死について考えたことをない人もいるのかもしれないのだから。

【死を見ず】

私が死について考え始めたのは幼稚園の頃です。
流石に年齢までは覚えていませんが確かに幼稚園の頃でした。

幼少期の私は生物は寿命で死ぬということを何かしらで理解していたようです。
私が生命体であり人間だと仮定すると私にもが訪れることは確定しているわけです。
その瞬間耐え難い恐怖が脳内を襲いかかり、幼少期の私はたまらず号泣してしまいました。

「明日になるといずれ死んでしまう」

このワードは私にとってとても強いものだったようです。



寝ると明日になる
  ↓
明日を繰り返して来年になる
  ↓
いずれ歳をとる
  ↓
  死ぬ

結論
「明日になるといずれ死んでしまう」



大方このような思考の飛躍でしょう。

そして本能的なのか死ぬのは怖かった。
それこそ死ぬほど怖かった。
だから泣きじゃくっていたのでしょう。

そんな状態の私をみて親はどうしたかというと生き物が死ぬという事実自体は否定しなかったと思います。
天国があるだとか、新しい生物に生まれ変わるだとか、そういうことは言わずにただただ宥められた記憶しかないです。

結局何かの考えで代用することもなく子供ながらに泣きながら背を向けて逃げるしかありませんでした。
死と向き合おうとするのはもっとあとになります。

【死旅深く】

幼少期の私は死ぬことが嫌で嫌で仕方がなかった私ですが、中学生頃になると反対に死にたいと思うことが増えるようになりました。
思春期ってやつですね、未来のことを考えて今を十分に楽しめない。
少なくとも中学生の私は大人になった私のビジョンが見えなかったように想います。
今はもっと見えません、私は何になりたくて何をしているのかな?

まぁ10代の若い頃なんて合理的思考に振り回される時期ですから仕方ないにしろ、いやなことがあるたびに自分のせいにしていましたね。
なぜなら誰も傷付かなくていいからです。
一番大事な自分が傷ついていたことには傷か無かったようですが。
・・笑うところですよ?

少なくとも自分のせいで何かやらかした場合には死んで責任を取ろうとしていました。
物事の選択肢に自殺が存在するのが如何にも私らしい。ぶっちゃけこれは今でも変わりません。だってシンプルで楽でしょう?
今思えば、相手を殺すという選択肢があってもいいと思いますけどね。
そこまでネジは外れていなかったようです。

【死に沈む】

中学生を半ば親戚のおじさんが亡くなりました。
心不全でした。

私の身近な人間の死を感じたのはその時が初めてでした。

いざ死体に出くわすと綺麗な顔をしていました。
私は常日頃から死ぬことを考えていたので涙も流さずおじさんとの想い出を思い出していました。
その時に少し違和感が。

「死にたいと思っている私が生きていて、楽しそうに生きていた人が死ぬなんて」

こんな感じの違和感を抱いたわけです。
結論から言えばこの思考に至っている自分がおかしいのですが、その時はなんでだろうと真剣に考えていました。
それと死んだらもう話せないという事実を体感しました。

私が死んだら辛いなと思う反面、気楽だとも感じました。

一方、もうしばらくして、商売をしている親戚のおばさんが亡くなりました。
おばさんは元々肺炎を患っており、他の病気も抱えていましたが、持ち前の商売魂で活発に生きていました。

ですが、いよいよ肺が危ないということで入院することになりました。
お見舞いに行くということで、エネルギッシュなおばさんに久方ぶりに会えるのが私は楽しみでした。
ですが、実際会ってみると体は弱りきり、言葉もまともに喋ることができず、食べ物も直接ホースで食道に流し込み、一切身動きができない状況になっていました。
手には手袋がつけられており、これは自分で喉についてあるホースを外さないようにするためのものらしいです。

衝撃でした。あの元気なおばちゃんが元気じゃない。
帰る時も「帰らないで」と叫んでいた声が今も記憶にあります。
いつ死んでも構わないと当時思っていた私ですが
「こんな死に方は嫌だな」
と強く思ったことを覚えています。
親父は「俺がこうなったら殺してくれ」と言っていたのも印象に残っています。
私にとって死に方の重要性と死生観が変わった瞬間でした。

【死に軽く】

高校生になった私は転校もあり楽しい時期と苦しい時期両方を味わいました。
転校する前は楽しく、転校してからは苦しい日々を送りました。
高校生での死生観は

「人生何が起こるかわからないのだからいつ死んでもおかしくない。そのためにも精一杯生きよう」

という考えになっていました。
高校で私は環境の変化から様々な人間と出会い、ある意味珍しい経験をたくさんしました。

苦しいことにも巻き込まれましたがたくさん足掻きました。
上手くはいかなかったけど当時の私なりに精一杯頑張ったと思います。
何があったかはテーマと逸れるので省きますが一連の行動に後悔はないです。
中学生でガチで殺されかけた経験もあり(この話も省きます)死の感覚は知っていました。
しかし、おばさんが苦しみながら死んでいく様を見ていることもあり、死に方だけは手順を踏まないと自殺でも碌なことにならないと考えていました。
今思えば自殺自体、碌な死に方ではないのですが。
当時の私は自殺しようとして全部失敗しています。自殺は普通にやめた方がいいです。運悪く生存すると大体後遺症残りますよ。

転校する前はともかく転校後の学校は雰囲気自体が重く、教室が常に葬儀会場みたいになっていて前の学校との違和感を感じていました。

保健室に行くと誰かが寝込んでおり泣き声が聞こえます。
流れる噂もドス黒いものばかり。
当時の私はそんな雰囲気が嫌で嫌で、普段誰も喋っていない教室でずっと友達に喋りかけていました。
なんなら授業中も先生相手に質問と言って喋っていました。
「こんな空気壊した方がいい」
私にとってのささやかな逆張りと抵抗です。

私が転校して入ってきたこともあり、楽しい雰囲気にしたいという想いはあっても、控えめな性格のせいか教室の雰囲気を完全に変えるのは難しかったです。
ですが、休み時間くらいは少しマシ?になったような気もします。
都合がいいのでそう思っておきましょう。

どうせ生きているのですから。


【エピローグ】

大体こんな感じでしょうか。
やっぱり自分の膨大な過去をテーマに沿って端的にまとめるのは難しい。でも書いていて懐かしい記憶が引っ張り出されました。
文章の魅力の一つでしょう。

私は現在大学生ですが、結局希死念慮は治らないし
常日頃「事故かなんかで楽に死なねぇかな」とか考えてます。

まぁ今は「30、40歳くらいまで生きてつまんなかったら死ぬか」とか考えてます。
なぜならやりたいことが終わってないから。
というかどんどん増えて困る。

歳をとるたびに死生観が雑になっている気がします。

でもこういうどうしようもなく、すぐそばにいるものに関してはコミカルに考えるしかない。
親愛なる隣人のようにね。
恐怖や不安を感じればそれは大きくなり視野を狭めますが、平穏な心持ちで見てみるとそれはただそこに存在するだけです。
























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