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2023.4.7 読書記録『沖縄ノート』

本の情報

(タイトル・著者・出版社)
沖縄ノート・大江健三郎・岩波新書

読書期間

2023/4/4~4/7

概要

米軍の核兵器をふくむ前進基地として、朝鮮戦争からベトナム戦争にいたる持続した戦争の現場に、日本あよび日本人から放置されつづけてきた沖縄。そこで人びとが進めてきた苦渋にみちたたたかい。沖縄をくり返し訪れることによって、著者は、本土とは何か、日本人とは何かを見つめ、われわれにとっての戦後民主主義を根本的に問いなおす。

本書より

感想

先月の大江健三郎さんの訃報に接し、一年くらい前に購入して本棚に積読していた本書を手にとった。
同著者の「ヒロシマ・ノート」は既に読了しており、こちらは、広島現地に訪れることで著者が見た原爆被害、そこで生きる人々の様子から感じたこと、現代日本への鋭い批判も込めた内容であった。

本書は、「日本人とはなにか。このような日本人でないところの日本人へと自分をかえることはできないか」という自問から端を発した内容となっている。
本書の初めから終わりまで、一貫して日本人の沖縄に対する考え・態度を痛烈に批判するとともに、自身もそのような日本人の一人であることを認め、日本人への批判と同じだけ自身を自責している。

本書が執筆された1960年代後半~1970年は、沖縄本土復帰に向けた様々な政治的な動きがあった時代であり、その状況下での日本人の
(「本土」という言葉も著者は批判をしている。)

本書はなかなか文章が難しく、一読で全ては理解できなかった。
おおよその枠はつかめたような、つかめなかったような、、、
行きつ戻りつしながら読んだ内容で、一番印象に残っていることをここにメモしておこうと思う。

日本人のエゴイズム、日本の「中華思想」的感覚
日本にとって沖縄は日本に帰属するものである、という意識。アメリカと日本の沖縄をめぐる様々な取引の中に、沖縄はいない。
沖縄の人々にとって、沖縄は沖縄であり、沖縄はアメリカでも日本でもない。
沖縄をつくりあげているのは沖縄の人々であるのに、沖縄本位でない形で様々な取引がなされる傲慢さみたいなものを著者は指摘していた。

欧米列強によるアジア・アフリカの植民地化と根底は同じようなことを沖縄に対してもしていたことを、さらに日本人は無意識化で行っていることに対する残酷さ、傲慢さを指摘している。
そのような罪のある日本人である、ということをまず自覚しそれらを余すことなく認めた上で、
それでもなお日本人であり続ける自身ができることは、このことについてずっと考え続けることだ、というような最後で締めくくられていた。

なかなか心に暗い影が残り続ける本書であったが、日本で生きる者としては誰もが知っておくべき罪なのかなとも思う。

無意識であることが一番罪のあることだと思うので、まずは知るところから。
まだまだ沖縄に関して知識不足であることは本書を読んでいても自覚されるところではあったので、機会をみつけてまたこのような本を読んでいきたい。


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