【極超短編小説】スキール音を
この展望所からの夜景は好きだ。
『鉄塔』のあるこの町は大きな町ではないから、百万ドルの夜景とはいかないが、和やかで落ち着く。
軽快なエンジン音が近づいて来る。振り向くと、小柄なオープンカーだ。街灯で緑のボディーと分かる。彼女か?
久しぶりの再会を期待して急いで近づくと、降りてきたのは男だった。
「こ、こんばんわ」
男は私に気づいて訝しげに挨拶する。
「あっ、こんばんわ。すいません、人違いでした」
「煙草、吸ってもいいですか?」
私は1本指に挟んだ煙草を少し掲げて尋ねた。
「どうぞ、構いませんよ」
少し離れた場所で夜景を眺めていた男が応える。
煙草に火を点ける。ゆっくりと吐き出した煙が夜空に溶けていく。
「ラッキーストライクですか?」
男が問いかけてきた。
「ええ、よく分かりますね。あなたもいかがですか?」
私はラッキーストライクの箱を差し出す。
「有難うございます。では遠慮なく」
男が箱から1本取り出す。
「どうぞ」
私はライターの火を勧める。
「有難うございます。でも火は結構です。僕はこうして香りを嗅ぐのが好きなんです」
男は火の点いてないラッキーストライクを鼻の下にあてがう。
「面白い愉しみ方ですね」
「そうですね」
「ところで、あの車は‥‥、いい車ですね」
私は思わず言ってしまった。
「MG、いい車ですよ、本当に。でも僕の車じゃないんです。借り物‥‥、預かってるみたいなもんです」
「預かってる?」
「ええ、彼女‥‥、ある女性から‥‥」
「あの車に乗るなんて、どんな女性なんでしょう?」
「んー、カッコいい‥‥かな」
男は柵に背中をあずけて反り返り、夜空を仰ぎ見る。
「カッコいい、か」
私も同じようにして夜空を仰ぎ見る。澄んだ空気の中で星が瞬く。
「これ、よかったらどうぞ」
私はラッキーストライクを箱ごと男に手渡した。
「‥‥」
男は首をひねる。
「煙草は、ラッキーストライクはもう止めることにします」
私は男に別れの挨拶をして車に乗り込みエンジンをかける。
そして、クラッチをつなぎスキール音を上げながら発進した。