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【短編小説】鉄塔の町:青と黒

 手のひらで鉄塔に触れる。思わず手を引っ込めてしまうほど冷たい。身体をのけぞらせて真下から見上げた鉄塔の先端は、真っ青な空に吸い込まれていく。
 ラッキーストライクの香りが漂う。彼女は僕のすぐ横にいる。


 「あなた何を憶えているの?」
 彼女が尋ねる。
 「何も‥‥!?」
 僕は思わず答えたが、すぐに気づく。彼女は僕が記憶をなくしていることを知っているのだと。彼女に振り向いて
 「君は‥‥」
 と彼女に問いかけようと口を開いたが、彼女は僕の言葉を遮るように
 「すべてを思い出したいの?」
 彼女は僕の目を真っ直ぐと見て尋ねる。漆黒ともいうべき瞳の中に、僕は吸い込まれていく。


 彼女の問いに何と答えるのが正解なんだ?いや、僕はどうしたいのだろう?なくしてしまった記憶を取り戻したいというのは、誰もが持つだろう根源的な欲求だとは思う。だけど彼女の目を見ていると、昔の記憶なんてどうでもいいような気がしてくる。
 今の僕は彼女を愛してしまっている。公園で出会って、そしてこの鉄塔の下で一瞬ともいえる短い時間に見つめ合っただけなのに。
 もしも記憶を取り戻してしまったら、彼女を愛しているこの瞬間は消えてしまうのか?そうだとしたら‥‥昔の記憶は‥‥いらない。


 僕は逡巡しながら口を開く
 「ぼ、僕は記憶を‥‥」
 彼女は僕の胸に手のひらをふわりと当てて、僕の言葉を止める。そして
 「いいの、あなたが誰でも。ただ、もう忘れないで。人は愛がなくなると狂ってしまうの」
 と彼女は言った。

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