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Aの自分。Bの自分。素の自分。

私は、福祉施設の仲間に、「俺って、どんな人だと思う?」と、めんどくさい質問をしたとき、「弁がたつ」と言われたことがある。うれしくはなかった(^_^;)。「弁がたつ」というのは、ペラペラしゃべりはするものの、そこに、中身が足りてないかのような印象を受けたからだ。そして、うれしくはなかったが、納得はした。自分でも、そう思ったから。

私は、二カ所の福祉施設に通っている。ある時、両方の福祉施設の担当スタッフと私の三人で面談になったことがある。これから、両方の福祉施設が、どう私を支援していくかという事について話す、とてもありがたい場面になるはずだった。だが、私は、なぜか言葉が出ず、半泣きになってしまった。

それは、普段の私が、素の自分ではないから、言葉が出なくなったのだと思っている。Aの福祉施設にいる私とBの福祉施設にいる私が、別の顔を使い分けていたから、破綻して、言葉が出なくなったのだと思う。

もう一つ掘り下げるなら、Aにいる私とBにいる私の、さらに下にいる、「素の私」を、私が意識できていたら、使い分けている自分を言語化でき、三人の面談は、話が進んだのだと思う。

古くからいる福祉施設はいつまでいてもいいのだけれど、新しく通いだした福祉施設は二年で卒業するのが基本だ。あと三か月で、何もなければ卒業になる。しかし、今、もう一年延長できないかという方向で、新しい福祉施設のスタッフと話し合っている。

一年延長するには、市の許可を得なければならない。何をゴールに設定し、どういった道筋で、そこに向かうのかを言語化し、市を説得しなくてはならない。それには、新しい福祉施設のスタッフと、その話を古くからいる福祉施設のスタッフと共有する必要もある。

そして、昨日。その話を、新しい福祉施設のスタッフと面談させていただいて、「これならいける!」と、話のめどをつけ、古くからいる福祉施設のスタッフにその話をしに行ったら、ボロボロの面談になってしまった。そのスタッフは、伝わっていますよと、言ってくださったのだが、自分では、手ごたえがなく、混乱し、家に帰って、死にたくなってしまった。

まずいと思い、寝逃げしようとしたが、早く寝すぎると、夜中に起きて、生活リズムが崩れるので、七時半くらいまではがんばって起きていたが、そこで力尽き、パジャマに着替え布団をかぶり、眠剤も飲まずに、寝落ちした。想定通り、夜中に目覚め、あれこれあったが、今、翌日のお昼のファミレスでこの記事を書いている。結果的に、状況は持ち直した。

結論にするけれど、私は、素の私を出発点にして、Aの施設とBの施設で取り組んでいることを言語化する必要がある。来週の月曜日、新しいほうの福祉施設で面談の時間をとってもらっている。

一度、冷静になって、何が起きているのか、整理させてもらおう。

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