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自分しか経験していない事(137期 小松)

初めまして!慶應義塾高校出身、商学部1年、小松遼馬です。
僕は現時点で唯一の1年生のマネージャーです。どのような経緯でこうなったのか今回は話してみたいと思います。
そんな僕の幼少期は完全に野球少年でした。ですが僕は高校から全く新しい競技、「ボート」を始めました。
いざ始めてみると、今まで全く見た事も触れた事もない競技、とても新鮮でした。ですが、高校1年の冬に、膝に怪我をしてしまい、それを期に自分はマネージャーへ転向し、チームを裏方からささえるようになりました。ビデオを撮ったり、後輩に指導をしたり、学校内にあるトレーニングルームを予約したりする仕事をしていました。上級生になり、主務にもなり、その頃には「大学でもボート続けるか迷うなぁ」という悩みが出てきました。
僕は正直「大学では遊びたい!高校の時毎週末合宿でほぼ遊べなかったからその分を取り返すぞ〜!」と思っていました。
それでも高校時代の先輩方の多くは大学でもボートを続けていて、大学に入学する前からたくさんの圧力をかけられていました笑。
そんな中4月に行われた慶應義塾の三大早慶戦である、「早慶レガッタ」に元塾高ボート部員として手伝いで参加し、先輩方の早稲田を圧倒するレースを見て気付けば僕は涙を流していました。
レース後、現大学4年生である中村先輩に「これで入部決意してくれるよな?」と言われ、僕は泣きながら「はい、入ります!」と感動的な抱擁を交わし、僕のボート人生7年コースが確定し、戸田生活4年目が始まりました。

僕は上に書いたように膝を怪我しているので、4年間選手をやり続ける事が難しいという事は明確にわかっており、大学ではとりあえず選手としてレースに何個か出場してから、マネージャーに転身する、という話で入部しました。
もちろん膝が痛くないわけではありませんでした。日々のトレーニングにおいては他の同期ができている事が僕だけできない、1人だけ別メニューで、みんなと同じメニューで苦しみを分かち合えない、少し寂しい思いをした事もありました。
ですが、寮でみんなと他愛もない話をしたり、同期達とラーメンを食べに行ったりしてる時間はとても楽しいものでした。さらにボートは究極のチームスポーツです。みんなで意識を揃えてボートを漕いでいる時はチームを感じる事が出来ます!


そして僕は選手の他にコックスというポジションでも大会に出た事がある珍しい部員です。僕の知る限り、選手、コックスをやってマネージャーになった人はいません。
選手として出場した大会からわずか1ヶ月後に行われた大会にコックスとして出なくてはいけなかったため、1ヶ月で減量をする必要がありました。選手の時は69キロで、コックスの最低体重制限である55キロに近づけるために1ヶ月炭酸水を主食として、1日1食豆腐を食べるというかなり脳筋なダイエットをしました。
その結果1ヶ月で7キロの減量に成功しました。それでも55キロには程遠いのですが、これが人間の限界だと思います笑
そしてその大会の後、僕はマネージャーになりました。はっきり言って追いつける気がしない先輩マネージャー方に囲まれて新人マネージャーとして頑張っています。いくら頑張ったとしても僕に出来る仕事なんてたかがしれているので、必死に足を引っ張らないように与えられた仕事を死に物狂いで取り組む毎日を過ごしています。
流石に長くなりすぎたのでここら辺で僕のブログを終わりにしたいと思います。
読んでいただきありがとうございました。
皆さんのことを端艇部でお待ちしています。

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