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コートの中の酒瓶

晩冬の一夜、10人ほどですき焼屋に繰り込んだ。
暖簾の傍には柳が枝を揺らしていた。幹事の私は一足先に着き、襖を開いて席の並びに抜かりがないかを確かめた。
牛肉の匂いを、座布団、畳、壁、柱、天井、襖がたっぷりと吸い込んで部屋中に漂わせていた。すき焼きが嫌いではないメンバー同士が鍋を囲むのではあるが、前夜以前の匂いが残ってまつわりつくのはやはり疎ましい。
例えばホテルの部屋に入ってベッドメイキングが済んでいなかったらば客は直ちに踵を巡らすだろう。
不潔に過ぎると思ったが今更改めようもない。
お膳の上にはまだ何も並んでいない。
天麩羅屋ならば、白木のカウンターは「油?なんですかそれは。ちっとも存じません」と白を切る程に拭き浄められているのが望ましい、そんな刷り込みがある。油が命の天麩羅だからこそ油の気配を完全に断ち切る。そのストイックな姿勢にこそ天麩羅屋の矜持があるように思う。学生時代、小遣いでかよった安直な店さえ、いつでも清々しくカウンターを磨き上げていた。拭き方のコツを知りたいと思ったが、いつ行っても行列の途切れない店だったから、余計な質問を切り出す機会のないまま卒業してしまった。口に入れた途端ほろほろと崩れだすキス天の味が忘れられない。
天麩羅屋が事程左様に油の気配を消すことに躍起になっているのに、古いすき焼き屋が、沁みついた牛の匂いを恥と思わないのはなぜだろう。繁盛の勲章だとでも思っていたのか。
客を捌ききれない盛業続きに胡坐をかき、思いあがって、往時の余韻を忘れられない態度が店員の動作の継目に露呈する。そんな「名店」がまだそこらじゅうにいっぱい残っていた「失われた10年」の一齣だ。丸ノ内のテナントの鰻屋の「黒服」の驕りぶりが今ならいっそピエロのように懐かしまれる。
古いすき焼き屋の会合開始まであと3分。ひとり焙じ茶を啜りながら、この店の怠慢、緩さ、傲慢に思いを致し、いずれ潰れるだろう、今日来たのはラッキーだったと思った。

酒が回り、鍋にはあぶくが立ち、座が賑やかになった。
仲居が仕掛けたすき焼きは無論不味かろうはずはない。
どうした弾みだったか、年嵩の男が、先ごろ読んだ小説に、下着の汚れているような女、という表現があって実に巧いと思った、と言った。
意表を突く話に皆が興味を持ち、口々に言葉を継いだ。
―そういうご趣味でしたか
―女の雰囲気、佇まいを指して言ったのだから、事実として下着が汚れているとは限らないでしょう
―そりゃそうだ。ならばぜひとも脱がせて検めないといかん
―作り話ですってば
―しかし、どうしてまた、そんなことを唐突に言い出したんですか
―ま、とにかく脱がすのが先決だ。そうして洗ってやろう
―いや、脱がすのは賛成だが、洗うのには断固反対する
女性のいない酒席の馬鹿話には止めどがなく、哄笑が繰り返し湧き起こった。
やがて雑炊の火を止めて溶き卵をかけまわすと皆黙々と匙を使い、ようやくお開きになった。

勘定を済ませていたら、封を切ったなりで殆ど飲んでいない焼酎が残っていることが分った。
ー取り置きはいたしませんので、よろしければお持ち下さい
と仲居が言った。幹事の役得として、という含みをもたせたつもりなのだろう。しかし手提げ袋ひとつ用意するそぶりもない。トレンチコートのポケットに裸のまま酒瓶を突っ込んで、坂道を上った先にある駅を目指して歩き出した。足を右、左と踏み出すたびに、ダルマの形をした瓶はポケットの中をごろりごろりと動きまわり、いちいち膝や太ももにぶつかるので閉口した。

頃日、人の見舞いに向かうバスに乗ったら、四半世紀ぶりにあのすき焼き屋の前を通りかかった。
暖簾も柳もすでになく、跡地にはマンションが建っていた。

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