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再生回数27回の絶望と無名クリエイターの苦しみ

朝起きた時、昨晩Youtubeに公開した動画の再生数を確認したところ「27回」とのことだった。
22時現在の再生数は、怖くて見ていない。
きっと50回くらいなのではないかと思う。
『景虎と阿南』というタイトルのストーリー動画の2話目になるものだが、以前に投稿した動画をブラッシュアップして再投稿したものである。
「商品棚には出来る限り良いものを並べておかなければならない」という判断で、一度投稿した動画シリーズを作り直したものだ。

今の僕の心境を正確に伝えるために、動画の公開前に思っていたことをそのまま伝えたい。
これを公開するまでは正直、今までの僕の動画の中で最高のものになったと思っていた。ストーリー的にも、この界隈の他の動画と比べてかなり凝った作りにできた自信があった。
しかし今となってみれば、この自信というものが『深刻な思い上がり』だったと判断しなければならない。

視聴者の再生時間、サムネイルのクリック率、いいねとコメントの数。
YouTubeでは、これらの指標がアルゴリズムに評価されて、僕らクリエイターとその動画の価値が決められることになる。
そして僕が昨日公開した動画は、全ての指標において最低ランクを叩き出している。YouTubeからは、ただしく「この動画は無価値だ」と判断されている状況である。

いくらブラッシュアップしたとしても、同じ内容の動画を二度も見てくれる人は少ない。
そのことが、低再生数の要因になっているという理屈は僕にも分かる。
なんだったら、公開前に「どういう結果になっても気持ちを強く持つようにしよう」などと念じていたくらいだ。
しかしそうではあっても、前作を見てくれた人(たぶん400人ほど)の中には、少しは”二回目”を見てくれる人がいるんじゃないかという期待を持ってしまっていた。そしてそれは多分、本当に数人~十数人だけだった。
再投稿のバージョンで初めて見てくれる人がいて、そういう人からの好意的な反応があればよかったが、そういったものもない。

ストーリーを考えたりそれを動画にして表現することは本当に好きで、僕は自分が作った動画を愛している。
しかし完成した動画を公開したとき、それがいかに無価値であったのかということを思い知らされるようで辛い。

じゃあ、動画の公開なんかしなきゃいいじゃん?
そう思う人がいるかもしれないけど、そういうわけにもいかないんです。
作ったものは誰かに見せて、共有せずにはいられない。多分クリエイターって、そういう性質の生き物なんじゃないかと思う。
僕なんかがクリエイター論を語るのは、おこがましいことだけれども。

現状を見てしまうとモチベーションが下がるので、極力、YouTubeとかニコニコ動画にはアクセスしないようにして、自分の動画の惨状が目にいかないようにしている。
何かの作業をしていて、ちょっと一息つきたいときは、最近はnoteが逃げ道になっている。noteにたくさん居る、いろんなことに挑戦している人たちからモチベーションをもらっている。

この動画で評価されようなんていうことは、極めて甘い、現状認識が出来ていない考えだった。
今では自分のことを、ほんとうに浅はかで、愚かな人間だと思っている。
そしてこういう気持ちを誤魔化さずに書き連ねていくことが、このnoteの意味であり価値であると思っている。
僕はいつか、面白いものを作れるようになれるのか。

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