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手足を描くような人生。【2023年6月28日】


『今日』


7時半に会社に行き、定時までは本を読んでいた。
午後は仕事に空き時間があったために、再び本を読む。
今は「アンナ・カレーニナ」を読んでいて、まだ途中だけども、名作ってやっぱすげーなと思っている。
創作活動の上でもかなり勉強になる部分があるので、読み終わったら、この感銘をnoteにまとめておきたい。

6時半に帰宅。
最近は仕事も少しずつ忙しくなってきたが、不退転の決意でもって6時退社を貫いている。
軽く運動をしてから、huluで「推しの子」の3話目を見て、飯を食う。
絵がきれいだし、話も面白い。
やっぱり多くの人に好かれる作品には、「スカッとする」ような部分が必要なんだろう。


『手足を描くような人生。』


飯を食ってから9時半までは、絵の練習をしていた。
4月からずっと、toshi氏の「神技作画」をお手本にして模写をしている。
模写をするときに僕はまず、全身のバランスをとるためにおおよその”アタリ”を描きこむ。
楕円を描いて顔の位置を決め、それに胴体となる四角をくっつけてやり、それから手足の位置を決めようとする。
手足を描く時は、「この場所に、こういうふうに手(足)をおきたい」と、先っぽの方の位置を決めてしまう。

お手本に描いてある手足を見つめ、大体こういう位置だろうかと試行錯誤するうちに、ふと、僕の人生もこんなものなのだろうか、と思った。
目標とする手足の位置を決めて、それにつながるように、腕だとか、手首だとか、太ももだとかを描き加えていく。
当然、僕はまだまだ下手くそで、一度で上手く描けることはない。
何度も描き直し、修正して、それでもなかなか思い通りにはいかない。
それどころか描いているうちに、実は顔も胴体も全く上手くできていなくて、「これはきっと人間にならない」とか気が付いたりもする。
こうなるともう収拾がつかなくなって、手足どころの騒ぎではない。

僕の人生も、手足の位置を決めて、それに腕だとか太ももだとかを描き加えていく作業のようなものであるような気がした。
僕は自分の目標を、「なんとなくここの辺りかな」と決めて、それに向かうために必要なパーツのひとつひとつを描き加えていこうとしている。
上手くいかずに、何度も何度も描いては消して、描きなおし、試行錯誤の最中ではあるけれども、いつかは上手く描けるようになりたいと思っている。
そもそも、決めた目標の位置だって、あっているのかどうかは分からないのだけれども。

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