見出し画像

港町代理店日誌

第1話 

 佐藤が税関から戻ると、大先輩の光野が睨んできた。
恐ろしく濃い白髪混じりの下の細い目が一層細く
まるで借金の返済を取り立てにきた金貸しのようだ。
 入社したばかりの佐藤は、まだこの老人とは
あまり話をしていない。出身の高校から大学のことまで
根掘り葉掘り訊いてきたから、結構学歴偏重なオヤジ
らしい。背が高くて痩せているのでツルのようだ。
仕事は優秀らしいが、あまりいい印象でもない。

「佐藤よ」「はい」
「お前、船長には何て指示したんや?」「はい?」
「今のう。船長から鳴門の沖でアンカーしたって
言うてきとるぞ」!?
「あのう・・・それはなんなのでしょう?」
横から先輩でトレーナーでもある沢野が助言した。
「まあいいから、佐藤さんメール見て」
年も近く、この辺では珍しい東京弁を喋る沢野は
時に太々しいほど落ち着いた態度を見せ
上司のいうことなど意に介さない。
基本に忠実な作業を重視しているらしく、
佐藤への指示や助言も、今はそのレベルに
とどめている雰囲気が感じ取れる。

沢野は元船員ということだった。事情があって
辞めたそうだが、免状を持ち、乗務もしていた為
頼りにされてもいる。どことなく周囲の人間とは
距離を置いているが、さっぱりした人柄だ。
 とりあえず、沢野の隣の自分の席で、
担当船の船長からのメールを探してみる。
船名はOriental Pioneer 。ロシアから石炭を運んで
日本に戻ってきているところだ。

The vessel under my command temporary
dropped anchor at off Naruto……..

「読んだか?」
「鳴門沖でアンカーした、と・・・」
「そんなところに入ってきたらいかん」
「すいません、意味がわかりません」
「沢野!お前こいつに何教えとるんじゃ」
「いやあ、まあしょうがないでしょう」
「???」
「とにかく船長に電話してすぐ錨上げて
領海外に出て行くよう指示してください。
メールも両方で、CCは船会社、後
この件は船長のconfirmation取ってください。」
「はっはい。今すぐ!」
「急げよ。保安部が巡視船だすぞ」
どうも大事らしいということだけ理解して
意味がわからないながらも、とにかく
船舶に電話を入れてみた。
聞きなれない呼び出し音がして、
大声の「Hallo!!」が聞こえてきた。
アテンド用のメモを見ると船長の国籍は
インドとある。インド人なら英語は達者なはず。

そう思ったが、ほとんど聞き取れないほど
訛りがきつかった。とにかく言いたいことだけ
叫んでみた。

「せっ船長、そこはだめです。そこ離れるよろし。
領海外でいて・・・ください」
最後にpleaseをつけるのが精一杯だった。
相手が何かものすごい早口で言い出したが
目の前の光野の顔を見ると聞く耳を
持たない方が良さそうだった。

佐藤は小一時間もかかって英文のメールを拵え
なんとか船舶には送ることができた。
どうやら光野が運航会社にも手を回し
指示を出してもらったようだ。
そのメールもおっかぶせるように
本船に発信されていた。

やがて本船が移動し、領海外に出たことが
わかった。

佐藤が入社したのは瀬戸内海に面した
小さな港町にある外航船代理店会社である。
それまでは別の仕事をしていたのだが、
リストラされたのを機に就職した。
高校時代から英語はできたのだが
手持ちの武器としてはそれしかなく、
仕事は忙しいらしいが英語で外国人と
話すことをストレスには感じないので
この会社に応募したのである。
作業服を着るのも、ヘルメットが必要
なのも初めてのことだった。
一番戸惑ったのはラジオ体操だった。
思い出すのに時間がかかった。
会社にはそれぞれの風習があるなあ、
30代になったばかりの佐藤は
そんなことを思う呑気ものである。

外航船代理店とはあまり世間には
知られていない職業である。
海に囲まれた日本で輸出入の大半を占めるのが、
船舶による海上輸送である。
なにしろたった1隻で5万トンもの
原料や製品を運ぶのだ。
製品にしても、コンテナ船は最近では
4000-5000個のコンテナを一度に運ぶ。
全長40フィートのフルコンテナは
陸上ならトレーラーで運ぶものである。
それを一挙に4000個も運んでしまう。
飛行機でそれだけの数量を捌くことは
価格面でも便数においても不可能である。

 船が外国との間を航行し日本に出入りする。
当然船員が乗船しているし貨物を積んでいる。
外国との往来、貨物の輸出入、船員の交代。
船が動けばそれに合わせて港では様々な
人々が動いている。関連法規に則って
手続きを進めなければ船は日本の領海内に
入ってくることさえできない。

 日本でも外国でも同じことだが、各港には
運航会社と契約した代理店が存在する。
船の予定を関係者に伝え、貨物の情報を流し、
逆に船には接岸する岩壁の規則や接岸予定を
通知しなければならない。
・・・と言うところまでは、佐藤もようやく
理解し始めている。ただし詳細がまだまだで、
今のように錨泊はみだりに出来ないことは
知らなかったのである。
実は重要な仕事が他にもあるのだが、
佐藤もおいおい、それを経験することになる。

「その様子だとドリフトとアンカーの
区別もついとらんのう」
「はい、すいません」
「教えてないんだから謝ることはないですよ
忙しかったんですいませんねえこっちこそ。」
「はあ・・・」
「ドリフトっていうのは、船が沖で
止まってることです。波に任せて漂う状態。
領海外でやってもらう分にはかまやしません。
で、本船がやろうとしたアンカーってのは
錨を下ろしてエンジンも止めて、直ぐには
動けない状態になるんで、これは接眼と
同じ扱いなんです」
「エンジンかからないんですか?」
「・・・車のようにはいかないんですよ。
キーを捻ったらハイOKなんてのはナシ。
それに、実際に動けるかどうかはともかく
税関も保安部もこれは停泊、接岸と
みなすってことが大事なんです」
「どういうことですか」
「鳴門沖に停泊するって、税関に
届出してましたっけ?」
「してません・・・あっ!!」
「そう」
熱心に説明していた沢野がニヤリとする。
「無届け、無許可の接岸。。。」
「その通りです。。やっと慌ててくれましたね」
「とするとこの船長に私がそれを指示
していなかったことがまずかったんですね」
佐藤の顔色が青ざめてきたのだろう、
沢野が爆笑した。
「い〜や!この船長が非常識なだけですね」
佐藤の前の席で黙って聞いていた光野が
ようやく話に入ってきた。こちらも
ようやく表情が普段通りに戻っている。
「ま、普通こんなことはせんわのう」
「光野さん、俺をからかいましたよね」
「いや。実際放置はできんだろうが。それに
お前の担当船でもある。そりゃあかわりに
ワシなり沢野なりが指示してもええけどのう。
それではお前、勉強にならんじゃないか」
「・・・」
「ま、接岸したら船長になんでこんなこと
したか聞いてみたらいいですよ」
「はあ・・・」


入港後、迂闊にもその敬意を問いただし
気位の高いインド人船長を怒らせるのは
また別の話になる。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?