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ありのまま

「チュンチュンチュン」
程よい日差しと鳥の鳴き声が私を起こす。目を擦すって時計を見ると6時半。アラームはかけてないが、大体これ位の時間に目が覚める。
遅い時間に寝ても不思議とこれ位の時間に目が覚める。「もうちょい寝ようかな?」なんて一瞬思うのだが、それでは朝の散歩が出来なくなってしまう。朝に有酸素運動をすることにより、一日の代謝が上がり、、、、そんな小難しい事は別にいい。朝散歩をするのは、シンプルに朝の程よい日差しと、季節や天気によって異なる香りを噛みしめながら歩くのが気持ちいいからだ。そして、散歩の終盤に登校中の小学生を見かけるのも一つの楽しみ。お金では買えない、癒しと元気を私に与えてくれる。もし、将来私が幼稚園や小学校の近くに家を構えたら、騒音被害を言うのではなく「いつもお子さんたちの声から元気をもらっています」と、言うと思う。まあこればっかりは実際に近くに住んでみないと、わからない事もあるだろうが。

ヒートテックインナーの上にジャージを着て外へ出る、、マスクも付けて。
マスク解禁になったものの、いまだに外せない。自分の容姿を気にしてしまう、、なんだろう、顔写真を投稿しては可愛いだの・ブスだの匿名で言われてしまうSNSを目の当たりにしながら育ってきたせいか?
まあSNSの弊害と思ってしまえば私の心は楽なのだが。
もっと深いところに原因はあるのだろうが、探れば探るほど疲れるので、それはまた今度。

外に出て、散歩を始める。日にもよるが大体1時間くらい。考え事をしながらの時もあれば、何も考えず目や耳や鼻に入ってくる情報から色々考えたり、考えさせられたり。昔は、音楽を聴いたりラジオを聴きながら歩いていたがもうやめた。まあ単純に危ないのもそうだが、耳から入る情報を遮断してしまうのと、せっかくの思考を深める機会が、聴いてる音楽・ラジオに気を取られてしまい、あと少しで思いつきそうだった閃きやアイデアが埋もれてしまったりする。そんな気がしてやめた。

「人もあんまいないし、いいか。ちょっと暑いし」
そう思いマスクを外して、ひたすら歩く。歩いていたら、なんだかいい香りがしてきた。
「これはサバの塩焼きだな。あとなんだろう味噌の香りはわかるけど」
そんな予想をするのも楽しい。なんだか人様の食事の香りを勝手に嗅いで予想するのは、良い趣味とは言えない気がするが。でも、
「美味しそうなサバの匂いがしたので、ついピンポンしちゃいました」
みたいな、ヨネスケの突撃 晩ごはんみたいな事はしないし大丈夫だよな、なんて自分に言い聞かせる。

私のお気に入りである林の中の散歩道に着いた。その散歩道を何往復かいつもする。きつすぎない傾斜があり良い運動になるからだ。気持ちよく林の中の散歩道を歩いている中、唯一気分を害してくるのが蜘蛛の糸
「うわっ、絡みつくなって。もっと見やすくしてくれよ、そしたら君らが一生懸命張った糸を壊さなくて済むわけだし」
そんな無理な事を思いながら、絡まった糸を振り払う。にしてもゴミが多い、特にコンビニの袋のようなゴミが多い。
「どうにかならないのかな。朝ゴミ拾いでもしようかな?」
なんて一瞬思った。だがそれから2日経った今、ゴミ拾いはしていない。
まあ行動には移せてないが、ゴミ問題に多少興味を持つきっかけとなったと思えばいいか、そうやって良く捉えた

林の中の散歩道を変わらず私は歩いてた。4、5往復目辺りだっただろうか、小柄な野球少年が前から急ぎ足で下ってきた。
「あ、寄った方が良いかな」
道幅が2人分無いくらいなので少し左へ寄ろう、それくらいしか思っていなかった。でもそれは、咄嗟に出た。
「頑張ってね」
反射したかのようにそう言っていて、自分でもびっくりした。見知らぬ子供に大人が話しかけるなんて良くない。そう思っている自分が気付いたら、そう言っていた。なんだろうこの感じ。
気分が良いのも勿論あるが、それよりも余計な雑念を捨てた、純度の高い言葉を発したことによる解放感の方が強い。
「そうか、これでいいのか」
今まで私の心を縛っていたが、あの少年の手によって一瞬で解かれた

家に着いた。
ご飯を作ったり、資格の勉強をしたり、noteを書いたり、youtubeを見たり、、、いつもと何ら変わらない日々であるのに、なんだかいつも以上に良い気分で過ごせた。






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