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仙厓義梵の沼でおぼれた


仙厓義梵「円相図」 これくふて 御茶まひれ

 漫画家の山田玲司さんがYouTubeで時々口にされる言葉に「ドーナツでもどうですか。」というのがある。
若い人が、今のこの時代の生きづらさを相談して来た時、この人は必ず、
「それは君のせいじゃないんだよ。」
と、断言する。
家庭も戦場、学校も戦場、社会も戦場。
今はそういうイカれた時代なんだから、メンタル病んだり、自殺したくなったりするのは当たり前なんだよ。
いったい何人死んでんだよって話しですよ。
「だから。」
と言って続くのが、
「ドーナツでもどうですかっていう事ですよ。」

   冒頭の仙厓義梵(せんがいぎぼん)の絵は「円相図」といって、賛に「これくふて 御茶まひれ」
とある。
「饅頭でも喰って、お茶でも飲もうよ。」
という意味だ。
「甘いもんでも食べてリラックスしようよ。
 まあいいじゃん、あんた頑張ってるよ。」
この「円相図」は、そんな風に優しく語りかける絵なのだ。

 「円相」は、禅宗では悟りの境地を象徴する図だそうだが、仙厓は多分そんな難しいこと言ってない。
「美味いぞ、喰え喰え。まあ、所詮絵に描いた餅だけどな。」
仙厓にこれを描いて貰った人も、仙厓も、ケラケラ笑っているところが目に浮かぶようだ。

 山田玲司さんは仏教に造詣の深い人で「円相図」の事も、もちろん知っているだろう。

「ドーナツでもどうですか。」

私はこの「円相図」を見て、山田玲司さんが何でドーナツを出して来るのかすごくよくわかった。
「あ、円相かあ。なるほどねー。」

それにしても仙厓の「円相図」は美味しそうだ。
左側にちょっと垂れて、ボテッとした感じがたまらない。

 前回の投稿で仙厓義梵に少しだけ触れたのをきっかけに、私は仙厓沼にずぶずぶとはまり込んでしまって、ちょっと困っている。
居ても立ってもいられないのだ。
あの犬のせいだ。

仙厓義梵「犬図」 きゃふんきゃふん

「きゃふんきゃふん」にヤラれてしまった。
この「ヘタしたらブタじゃん」な犬に。

 私は生まれつき仏教徒ではないので、お葬式に行って、お焼香で間違って香炉に指を突っ込むような人間だから、禅の話なんて未知の惑星の話しだった。
禅画を定義するのは難しいそうだが、一般には禅僧が民衆に分かりやすく禅の教えを絵解きしたものを指すらしい。
 この犬も、お腹をヒモで縛られて杭に繋がれているが、繋がれているはずの杭は傾いて倒れかけている。
仙厓は他にも犬の絵はたくさん描いているが、犬を繋いでいる杭は、やっぱりどれも傾いている。

「何に縛られてもがいているのか知らないけど
アンタはとっくに自由なんだよ。」

この仙厓のメッセージは、仏教も禅も知らない
二百年後の世界に生きるわたしの心にもダイレクトに伝わって来る。
見えないヒモに縛られて、がんじがらめにされているように思ってるけど、自分を縛っているのは自分自身なんだよ、と。

 仙厓は18世紀の中頃、美濃の貧農の家に生まれた。そして13歳で得度、40歳までの30年に及ぶ壮絶な修行行脚の末、北九州の聖福寺第百二十三世となった人だ。
88歳で亡くなるまで、土地の人から「博多の仙厓さん」と親しまれ、愛された。
絵を描き始めたのは、聖福寺の住職になってからだそうだが、仙厓も初めは真面目な絵を描いていた。

仙厓義梵「布袋図」

これが晩年になるとこうなる。

仙厓義梵「あくび布袋図」

何が面白いって、この晩年の仙厓の禅画ほど面白い禅画ってあるだろうかということ。
 仙厓のもとへは大勢の人が押しかけて、
「和尚様、ぜひ一筆お願いします。」
と、紙を持参する。

「うらめしや わが隠れ家は雪隠か 来る人ごとに 紙置いて行く」
(勘弁してよ、ウチはトイレじゃないんだから)

なにしろ聖福寺には仙厓の絵を欲しがる人がたむろして集まるので、市まで立ったというから凄まじい。
 仙厓に絵を描いてもらったら家宝にする人も大勢いたが中には不心得者もいて、
「酒がなくなったから和尚に一筆描いて貰って酒代にしよう」などという輩もいた。
仙厓と親しいのを良いことに、酒代稼ぐために仙厓の絵を金持ちに売りつけるのだ。
気のいい仙厓もうんざりしてとうとう絶筆宣言。

仙厓義梵「絶筆の碑図」

 でもそんな事で諦めるようでは博多っ子ではない。
「和尚様、ご隠居様、そこを何とか一筆だけ。
 ねっ?ねっ?」
と、皆んなに言われてあえなく前言撤回。
結局、乞われるままに描いた絵は二千枚にも及ぶという。
ただこの人、
「これ、私が描いた絵なんですけど、和尚様のご揮毫があるとハクがつくんで、ひとつお願い出来ませんかねぇ。」
と頼まれると、「いいよー。」ってすぐサインしちゃう。
これが後世の仙厓研究者たちを悩ませる。
サインして落款まで押されてる絵を、どうやって真筆と見分けろというのか。

そりゃもちろん、偽物が真筆として出回っている事もあるかも知れないが、たとえ仙厓のサインがあろうとも案外見分けはつくそうだ。
それはテクニックでは誤魔化せない、仙厓の生き様が理屈を飛び越え強い力となって、絵を通してこちらに伝わるからだろう。

 とは言ってもこの絵だ。

仙厓義梵「猫の恋図」

「南無阿弥陀仏 猫の恋」と賛がある。
サカリのついた猫の鳴き声が、お題目に聞こえたらしい。
なんと罰当たりな。

 仙厓は49歳の時、大本山妙心寺から法階昇進として、それまでの黒衣から色衣(色付きの衣、袈裟、帽子)の着用を許されるほどの出世をする。
しかし仙厓は色衣を辞退し、生涯黒衣を纏った。
仏教界の権威主義に辟易していたのかもしれない。
時には修行に欠かせない坐禅さえも茶化している。

仙厓義梵「坐禅蛙画賛」

 カエルの坐禅である。
「坐禅して人か佛になるならハ」(坐禅して人が仏様になれるもんなら)と賛が入っている。
「坐禅してりゃ悟りが開けると思ったら大間違いだぞ!」
とにかく、ミもフタもないのだ。

 「悟りを開き自由になった姿」を、仙厓は子供たちの中に見たのだろうか。
子供の絵がいくつもあって、それが皆んなのびのびと楽しそうにしている。

仙厓義梵「猫に紙袋図」 見んか見んか

猫に紙袋を被せてイタズラをしている子供が
「見て見てーっ!」って大笑いしている。

仙厓義梵「凧あげ図」 吹け吹けぷぷぷ

風がないので凧を飛ばせない子供が、自分の息をぷーぷー吹きかけて凧上げをしようとしている。

 仙厓の目には、子供たちのこういう純真で自由な姿が「悟りの姿」として映ったのかも知れない。

 数は少ないが、自画像もある。

仙厓義梵「ゆばり合戦図」
仙厓まけたまけた 龍門の瀧見ろ瀧見ろ

「ゆばり」とはおしっこの事。
見た通りだ。
「やっぱり若いモンには勝てねェなあ。
でもお前、的が外れてるぞ。」
この絵を見ると、まるで自分の目でその光景を見た記憶があるかのように思う。

仙厓義梵「自画像画賛」
仙厓そちらむひてなにしやる

ひよこ饅頭だ。
食べたくなるほど可愛い。
壁を向いて9年間、坐禅を組んだまま過ごしたという「達磨大師」をマスコット化して、仙厓は自分自身に問いかける。
「仙厓、お前いったい何してんの?」

 仙厓義梵という人がどういう人なのか知りたくて、伝記を探したらすぐに見つかった。

 13歳で得度した仙厓は、19歳から修行行脚の徒につく。
美濃を出て武蔵の国にある「東輝庵」と呼ばれる禅道場に入門し、30歳を過ぎるまでそこで修行に明け暮れた。
その後、師匠である月船禅慧の死を看取り、そのまま雲水となって東へ西へとあてどなく放浪する。
 時は天明。
日本の四大飢饉のひとつとされる「天明の大飢饉」のさなか、東北地方を托鉢行脚していた仙厓は、そこでこの世の地獄を見る。
村々は餓死した人で溢れかえり、その死人の屍肉を求めて餓鬼と化した村人が群がる。
仙厓自身も托鉢どころではない。
行き倒れたところをなんとか助けられ、九死に一生を得る。

 伝記の中で仙厓は、
「わしは五度死んだ。」と、独りごつ。
一度目は生まれ落ちた時。
間引き(堕胎)も叶わず、産まれたままの裸で捨てられていたところを、後に得度することになる寺の住職に拾われる。
二度目は修行のために赴いた禅道場「東輝庵」への入門を願い、十日間の門前での断食坐禅行の時。
三度目は陸奥の平泉近くの北上川のほとりで行き倒れた時。
四度目は「天明の大飢饉」の東北で行き倒れた時。
そして五度目は、故郷の美濃の山中で絶望し、渓谷へ身投げした時。

 読んでいて、
「仏様!どうかもう勘弁してあげて!
仙厓さんも、アナタちょっと頑固すぎっ!」
なんだかもう、涙が出て出てしょうがなかった。

 仙厓の描く絵は、単純でミニマムで子供でもマネ出来そうな絵だが、偽物を真筆と見せかけるのは簡単ではない。
仙厓の絵は、人の世の地獄も自身の煩悩もすべて許し、洗い流した果てに、たったひとつ残る結晶のようなものだからだろう。
理屈やテクニックでは無理なのだ。

 仙厓は亡くなる直前、弟子に「師よ、お言葉を!」と、印可を求められた時、
「死にとうない。」と言ったそうだ。
 これは本当の話しかどうかわからない。
もし本当だとしても、「死にとうないって言いながら死んだ」なんて弟子が口外する訳がない。
生への執着を拭い去った清らかな禅僧にあるまじき言葉だからだ。
でも、たとえ本当だとしてもそれはそれで、さすがは仙厓だと思う。
「えええ〜〜っ!」と青ざめる弟子の顔は見ものだった事だろう。

 ある落語家が臨終の時、家族に手を握られながら何か言っている。
「何?何て言ってるの?」
「天井裏に、金……金がある……。」
と言って、天井を指差しながら息を引き取った。
葬式を済ませて家族が天井板を開けて確かめてみると折り畳まれた紙が一枚置いてある。
開いてみるとそこには、
「ウソのつきおさめ。」
と書いてあったという話しを、何かの本で読んだ。
 家族や弟子は、たまったものではないが
「なーんちゃって。チャンチャン。」
なんて終わり方はやっぱり憧れる。

 それにしても禅の修行はハンパじゃない。
仙厓は五度死んで、そのつど不屈の精神で立ち上がって天寿を全うしたが、禅僧の中には修行を投げ出した者も当然いただろう。
托鉢行脚で行き倒れて死んでいった僧も、仙厓のように絶望して崖から身を投げた僧もいた事だろう。
あるいは権力におもねり、私服を肥やす者もいただろうし、人の道を外れて罪を犯す者もいたと思う。
仏の道を志しながらも挫折していく同胞たちを、仙厓は数限りなく見て来たに違いない。

 最晩年の仙厓の描く仏画「阿弥陀如来図」にはそんな仙厓の、ありとあらゆるものへの「許し」が描かれている。

仙厓義梵「阿弥陀如来図」

私はこんなに優しい顔の阿弥陀様を、
他に知らない。


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