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4年前の夏の写真は一枚も消せない

先週のこと。

わたしが取っている大学の環境社会学の授業の一つに、水俣病をテーマとし、水俣をフィールドワーク調査するものがあります。

その授業で「水俣病は鏡である。この鏡は,みる人によって深くも,浅くも,平板にも立体的にもみえる。そこに,社会のしくみや政治のありよう,そして,みずからの生きざままで,あらゆるものが残酷なまでに映しだされてしまう。そのことは,それを見た人たちにとっては強烈な衝撃となり,忘れ得ないものとなる。」(原田正純著「水俣病が映す世界」)という文章に出会いました。


この言葉がスクリーンに映しだされたとき、胸の奥がきゅっと締め付けられるような、言語化できない何かがすこし形になったような感じがしました。なんだったんだろうなぁと思いながら、それを言葉にして残したいと思います。

あのとき感じたのは、福島のことをずっと考えている自分です。高校一年生の夏に何気ない理由で行った福島のツーリズムでは、津波で壊れた校舎だったり、いろいろな立場の人が見てきたものや感情だったり、帰宅困難区域を走るバスの中で見た基準値を超えた数値を表示する測定器だったり、たくさんのものを見て感じてきました。2泊3日で簡単に何がわかった、とも言いたくないほどたくさんのことを考えました。

 そこからしばらくして、縁があって福島のある村に何度か行くことになって、地域や当事者や学校教育や探究など興味は広がり、周りの人に助けてもらいながらやりたいことを実践しようとしてきた4年間でした。

 それでも、どんなに関心が移り変わっても、4年前の夏に感じた、被害を受けて生活が戻らなくなった「誰か」のこと、真摯に当時の状況を伝えてくれた「誰か」のこと、高校生相手だからなのか部外者だと思ったのかわたしたちの質問にはマニュアル通りの回答しか返してくれなかった「誰か」のこと。わたしは彼らのことが忘れられないのです。


 わたしはどう想いをはせても当事者にはなれません。だからこの感情は部外者の考える復興だとか、同情だとか、正義感だとかで片付けられてしまうかもしれません。でも、一度関わった瞬間からずっと忘れられないこの気持ちは、正義感なんて生ぬるいものではない、と思います。福島で見て聞いて感じたことは、確実にわたしのやりたいことに、考え方に、生き方に影響を与えています。影響を与えている、というと綺麗だけど、もっと深く心に根付いています。当事者ではないし、ましてやわたしも周りの人も物もなにひとつ傷ついてはいません。それでもやっぱり逃れられない、考えずにはいられないのです。

だから、原田正純の言葉を借りれば、福島のことだって私にとっては「鏡」なのでしょう。福島とおなじような構造を感じて水俣のゼミを取ってみてしまう、とか、これからも自分勝手に福島にとらわれていくんだと思います。


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