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水俣の地で

殴り書きです。


今も残るチッソの古びた建物。
今も戦いが続く百間排水溝。
蒸し暑い湿気と雨。
目をまっすぐ見て語ってくれた人。
今日も座り込みをしたと話すお坊さん。
最後に力強く握手してくれた人。
書き起こしのために取った貴重な録音テープ。
乙女塚で見た、余計な動作をせずにただ我が子を抱きしめる母親の像。



それは言葉にできない悲しみであり、やりきれなさでした。

それはどうしたって発散できない強い怒りであり、切なさでした。

それは大切な人を失った辛さであり、大切な人を想う愛情でした。

それは生活の小さいけれどたくさんの喜びであり、ひとの脆さでした。

それは戦うことができる強さであり、人が生きていることの躍動感でした。

それは「水俣病」そのものであり、その人の人生の一面でした。

それは社会構造の中で起きている問題であり、小さな町の人々固有の問題でした。

それは歴史上に強く爪痕を残すものであり、今も終わっていない戦いでした。

それは当事者が心の底から語れることであり、当事者ではない自分が語る意味を持つことでした。


「水俣病は鏡である。」の言葉のように、これから私は福島のように水俣の歴史に巻き込まれ、自分の身を委ねながら、とらわれていくのだと思います。





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