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マスクをしないで歩けるようになった外の世界は、すこしだけ息がしやすい

「今日からマスクは付けても付けなくてもいいですよ」

 新型コロナウイルス感染症が5類感染症に移行したある日。わたしが車を発進させると同時に、自動車学校の教官のおじさんはそう言った。

 あぁ、なにかが終わったんだ。
 わたしの中ではなにか一区切りついた気がした。

 
 最近食べた美味しいものの話しかしない教官のおじさんも、最近よく一緒にいるあの人も、2年生から仲良くなったあの人も、マスクの下の顔を見ることが多くなった。イメージと違って意外だったり、笑った顔に嬉しくなったり、ほんの少しだけ日常に変化が生まれた。

 思えば、コロナ禍の大学生活で、わたしは「みんな」が言うほどマイナスな打撃は受けなかった。それどころか外に世界が広がっていたようにさえ感じている。
 
 わたしは大学生から地元の東京を離れて、北海道で暮らし始めた。1つ上や2つ上が苦しんだ全面オンライン授業にはほとんどならなかったし、地元の友達のサークルや行事が遅れる中、わたしの大学ではほとんど対面で3年前と同じようにやった。それどころか、1年生の時に住んでいた寮では毎日だれかと顔を合わせてご飯を食べていた。サークルやバイトで帰りが遅くなっても金曜ロードショーを見ながら「おかえり」と待っててくれる人たちがいた。

 コロナ禍という制約を高校時代に受けて、北海道に飛び出したわたしを待っていたのは、人の直接的な、あたたかい繋がりだった。コロナが流行しなければ繋がれなかった人やコミュニティ、知らなかったであろう世界が今のわたしをつくっている。

 だからこそ、メディアで報道される「普通のキャンパスライフが奪われた大学生」「かわいそうな大学生」というイメージを見る度に、聞く度によくわからないうしろめたさを感じていた。

 
 もちろん自分が経験しえなかった大学生たちの苦しみを理解したいし、忘れてはいけないと思う。けれど、世界を広げて色々なチャンスがあったわたしだけの「コロナ禍の大学生活」も存在してもいいんじゃないか、うしろめたさを感じなくていいんじゃないかなと最近は思う。


 マスクをしないで歩けるようになった外の世界は、すこしだけ息がしやすい。突然休校を余儀なくされた高校1年生から、外に世界が広がっていった大学1年生。何年経っても、わたしだけの「コロナ禍の大学生活」を覚えておきたい。


#いまコロナ禍の大学生は語る



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この文章は、「#いまコロナ禍の大学生は語る」企画に参加しています。
この企画は、2020年4月から2023年3月の間に大学生生活を経験した人びとが、「私にとっての『コロナ時代』と『大学生時代』」というテーマで自由に文章を書くものです。
企画詳細はこちら:https://note.com/gate_blue/n/n5133f739e708
あるいは、https://docs.google.com/document/d/1KVj7pA6xdy3dbi0XrLqfuxvezWXPg72DGNrzBqwZmWI/edit
ぜひ、皆さまもnoteをお寄せください。

また、これらの文章をもとにしたオンラインイベントも5月21日(日)に開催予定です。
イベント詳細はtwitterアカウント( @st_of_covid をご確認ください )
ご都合のつく方は、ぜひご参加ください。
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