見出し画像

己の未熟さを責めれるはずがない.2022/09/17

少し投稿が空いてしまった。2日前ほどにnoteを勢いで書いていたが、時間が経つと少し冷静になり、投稿するのをやめた。それくらい自分の内側の部分が剥き出しの文章だった。しかし、それから2日経った今も、そのことについて書こうとしているということは自分にとって重要な問題なんだと思う。

単刀直入にいうと、わたしは人と自分を凄まじいぐらいに比べる癖がある。手当たり次第誰とでもというわけではなく、その中でも自分と距離の近い友人や、お付き合いしている相手に対して強くその癖が出る。
最近は友人に対してが酷かった。その人が遠くに出向いて自分がしたことのない経験をしていることを知ると、羨ましい、悔しい、なんでこの人にはこんなに行動力があるのにわたしにはないんだろう。この人は自分より優れていて、それはつまり自分が劣っていて。そんな気持ちになってくる。自分にはないものを相手が持っていることに異常に反応してしまう。これが苦しくてたまらないのである。
友人に対してこんな苦しい気持ちを向けたいわけではない。本当に、自分とは違って行動力があって、勇気もあって、尊敬しているし、交友関係を切りたいわけではない。
もう既に「自分とは違って」という言葉に、その癖が表れてしまっているのだろうな。

3年前の大学受験の時にも、似たような悩みを持っていたことをふと思い出した。
たしかその頃は、人と話している時、無意識その人に対しての文句や悪口が頭に浮かんでくることを悩んでいた。きっとあのときは、そういったことを考えることで相手を下に見て、自分を肯定していたんだと思う。そうすることで厳しい受験期の中でも、正気を保つことができていたんだと思う。
今もそうだ。相手の優れた部分に気づくたびに、自分の劣った部分に気付かされ、苦しんでいる。3年前と逆なだけで本質は同じである。

そして私は、この癖を自覚させられるたびに涙が出る。情けなさとどうしようもなさで。ここ最近、1人の時間が増え過ぎてしまったことで、自分の心に向き合う時間も増え、気づいたら泣いている時間が増えていた。泣いてる時間が勿体無いと母は言うけれども。

こう言う自分と向き合い続けるしかないんだろうか。心の底から友の幸せを喜ぶことはできないんだろうか。19年生きて、凝り固まってしまったこの癖を削ぎ落とすことはできるのだろうか。
不安になるたびに泣いた。

こんなことを書いたら、なんて未熟な人間の悩みなんだろうと思う人もいるかもしれない。私も自分の未熟さは自覚しているつもりである。でも、私だけはこの悩みを無視できない。未熟だといって笑えない、なかったことにできない。

人と比べるなんてやめたほうがいい。悩んでるだけ時間の無駄。わかっているけど、私は未熟で、未熟なりにこの悩みに向き合わなければいけないのだと思う。成熟した人の物差しで測ることはできないし、測るべきではない。それが未熟であるということだ、とここ数日で思った。

私はたくさんのことが見えていない。誰もが影で苦労をしていること、いろんな感情を抱えて生きていること、全てには訳があるということ。言葉では言えても、心の奥底からそのことを実感した時に初めて自分のものになるのだと思う。その時までは今の自分のままで、進むというか続いていくしかないんだと思う。それを認めようと思った。
そして、自分だけはこの悩みに対して本気で向き合おうと思った。未熟だと呆れる人もいるだろう。でもしょうがない。そういう生き方をしてきたのだから。私は未熟なりに真剣に誠実に今の自分と向き合おうと思う。そのことに一生懸命になろうと思う。

部屋のベッドで、水槽の前で、あるいは公園の山の上で、こんなことを悶々と考えていたが、この結論に行き着くきっかけになった曲がある。
それが、amazarashiの「未来になれなかったあの夜に」という曲である。特に心に残った歌詞を紹介したいと思う。

恨み辛み妬み嫉みの
グラフキューブで心根を塗った
それでも尚塗り潰せなかった
余白の部分が己と知った

酷い君が罵られたなら
酷い君で恨みを晴らして
足りない君が馬鹿にされたなら
足りないままで幸福になって

amazarashi/未来になれなかったあの夜に

自分に絶望し、泣き疲れる。そんなこと滅多にないけれど、3年に一度くらいはそういう時期がやってくる。そんなときに寄り添ってくれたのはいつも秋田ひろむさんの言葉だった気がする。
多感な中学生時代、大学受験、そして今も。暗がりに光を求めるというより、光を求め足掻く自分の生命力に光を見出すというか。ないものではなく常にそこにあるものに目を向けさせてくれる、そんな歌詞だと思う。

音楽って素晴らしい。いつもnoteの最後らへんで力尽きて、まとめが雑になってしまうけど。

未熟なりに真剣に生きようと思った。
一生懸命に、誠実に、素直に。

公園の山からの景色


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?