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他力本願(ライブ)でハッピー

昨日EXILEのライブに行ってきた。
多幸感と充実感にあふれていて、今日はよくねむれそう。
コロナ禍になってからライブの形態はだいぶ変わったし、行くのも気をつかうようにはなったけど、そこそこ足を運んでいる。足をはこばないと生きてゆけないからだ。おおげさでなく。

わたしの生活は自分のままならなさや現実のままならなさと向き合いながら、擦り減らしながら、自分のなさにおちこみながら、生きている。
舟幽霊みたいな人間だな、とずっと感じている。ひしゃくに穴があいているので、すくってもすくっても満たされないし、脚もないのに延々にぐずぐず現世にとどまり続けている。
死ねてないのも大きい。今となっては死ななくてよかったけど、ずっと死にたかったし、死にぞこないだと思っていた。
そんな人間なもんだからハッピーを自力生成できないのである。

ハッピーを自力生成できないと、他力本願でハッピーを摂取するしかない。ハッピーなくても生きていけるけど、それってつまり生活と生きるにひたすら向き合うってことだ。精神が摩耗する。正直楽しくない。
舟幽霊でもハッピーにひしゃくで水をすくいたいし、それくらいの欲許されるでしょう。

もとから音楽がわりと好きな人間である。ポップもロックも好きだ。カフェミュージックも聞くし、エレクトロニカとかも好き。気に入るかは別として、勧められたら聴いてみることにしている。その程度には好き。

でも、もっと好きなのはライブ。現場。
音の臨場感と迫力とセットのド派手さ。ボーカルの感情が迫りくる。パフォーマーの真剣で力強いダンスにおののき、時に靡くように流麗なダンスに目が離せなくなる。
わたしの持っているひしゃくがライブに行っている時だけ、その一瞬穴がなくなる。
さけびだしたくなるような多幸感。ハッピーのかたまりを穴のないひしゃくですくって、渇き切った喉に流し込む。
他力本願のハッピーをキメて、この潤いを待ち望んでいたと舟幽霊のわたしが目をきらきらさせている。現実で一二を争う最高の瞬間だ。

でも他力本願のハッピーは長続きしない。なのでそこそこの頻度でライブに行く。擦り減ったこころを、穴のあいたひしゃくを、補いながら日常を生きていかなきゃいけない。人生の必要経費だと思っている。
好きな音楽でハッピーになって、思い返しながら布団にもぐる。それが今日も出来るので、最高にハッピーです。おやすみ!