歴史を保護する理由

表題の件について、私はずっと考えている。
埋蔵文化財については、保護法があるので保護しなければいけないという事は確かに理由だが、そもそも法で保護する理由はという事を考える。

それは歴史を保護する理由を考えるという事だと思う。

 歴史は後世に伝えようと思わなければ簡単に消え去る。全員が持っている物を常に整理、処分し、黙っていれば良いのだから本当に簡単だと思う。なんだかすこぶる虚しい。この虚しさの最深部、根底にあるものが多分「理由」なのだけど、これは解りかねる……難しい……

ただ私が今のところ言える「理由」は「出自やアイデンティティの危機に瀕した時に始めてわかる、空気のように必須な各々個々の構成要素だから」だと思う。

どれだけ嫌でもどこかの国の国民であるなら国は自分の構成要素の1つに食い込んできていると思う。その国を構成する歴史も我々の1部なのではないか。それを守るのが埋蔵文化財保護法なのではないか。というかそれなら、埋蔵文化財以外も保護が必要なもの沢山あるのでは……しかし沢山すぎてやはり範囲指定は必要だよなあとか、文化財「活用」は叫ばれがちだけど「保護」って軽んじられがちな所も多いのかな、など、そんな事を悶々と考えながら仕事をしてきた。

思想みたいな部分になるから誰かに言った事はない。しかし人文学や歴史を学ぶ必要性ある?そんなの学ぶのに高い金はらう必要ある?というのを見たり言われたりすると、どうにも……調査や保護の必要性とか重要性を、自分自身ちゃんと解りたいし、伝えたいと思う所存であります。

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