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羽生善治さんと認知症の方の対局


推しの棋士

今年(2023年)4月に投稿した「フィンランドとサウナと認知症」という記事で、最近、将棋をよく観ていると書きました。

応援をしている棋士の方もいて、推しの棋士は誰かと言えば羽生善治さんです。
羽生さんは「平成の王者」と言われますが、令和になってから観る将になりましたので、私は平成時代の将棋を知らず、他を圧倒する成績を残されていたころの羽生さんの将棋を知りません。

そんな自分が羽生さんを応援しているのは不思議とは思うものの、自分が昭和生まれの40代だからでしょうか、肩入れして将棋の対局の勝ち負けに感情移入して、一喜一憂してしまうのは同世代以上の棋士の方々です。

知識の量が勝負を決めるのではない

今年の1~3月、将棋の8大タイトルのうちの1つ「王将戦」で、羽生さんが藤井聡太王将(当時5冠)に挑戦し、話題になりました。(注:その後、藤井さんは8つのタイトルをすべて手にする八冠独占を成し遂げられました)
王将戦を前にして、取材のなかで挑戦者の羽生さんが何を語るかには関心を持ち、隈なく確認しました。
そのなかで、知識と勝負は別という羽生さんの考え方が目に留まりました。

その考え方を述べているインタビュー動画はこちらです。
こちらの動画、王将戦の頃は無料コンテンツでしたが、現時点(2023/10/11)では、YouTubeチャンネル「囲碁将棋プラス」のメンバー限定となっており、無料でのアクセスはかないません。

同じことを羽生さんが語られている記事がないかと思って検索すると、見つかりました。

これは羽生さんと、サイバーエージェント社長の藤田晋さんの対談記事です。対談が行われたのは2006年で、羽生さんが35歳のときと書かれています。「知識と勝負は別」という考えは長い棋士人生のなかで近年到達したものというわけではなく、既に17年も前の段階で語られていたと分かります。
この記事での羽生さんの発言を引用します。

総合的なものとか10年前と比べて、どっちが良く理解してるかとか、今のほうがすごく選択肢はたくさんあるのは間違いないんですけど、勝負はまた別で(笑)。それはまたわからない。そこがまたおもしろいところなんですよね。

ある一定のところ以上まで来ちゃうと、そこから進歩してるかどうかわかんなくなるところがあって。たとえば、ひとつすごい難しい場面のときに「こういう抜けだす方法もある」という方法は今のほうが間違いなくたくさん浮かぶんですけど、じゃあ10年前のときのような自然に大きな流れをつくったり、波を作るものに出会ったときに対処できるかどうか、っていうのはまた別の話なんで、そこがまた不思議なところというか。

大変興味深く思いました。どういうことかもっと聞いてみたいです。
この記事での10年前というのは羽生さんが七冠を達成された1996年のときのことです。確実にそのときよりは知識は増えてはいるが、勝負の技術が高まっているか否かは知識の量では決まるわけではないと言われているのではないかと思いました。

「みんなの介護」の賢人論で羽生さんの記事を発見

さて、私は介護業界で仕事をしています。
介護に関連するさまざまなwebメディアを見てきましたが、株式会社クーリエが運営する「みんなの介護」は優良な記事を届けていると思うサイトの1つです。
そのなかでも、様々な業界の第一線で活躍する方々に、介護業界の現場を取り巻く問題など介護にまつわるあれこれについて、自身の思いを忌憚なく語ってもらう賢人論という企画は秀逸と思います。

その企画のなかで、羽生さんが介護について語っているインタビュー記事を発見しました。
羽生善治「強いて「引退」を想像するなら、現役の今と同じように、変化を避けるのではなく楽しむ姿勢を大切にしたい」(みんなの介護 2017年12月5日)

羽生さんと認知症の方の対局

この記事は見どころが多く、内容が充実していると思います。
将棋の世界へのAIの影響、介護現場でのAIやロボットの活用、将棋を通じた海外との文化交流、将棋の起源など話題が豊富で、興味が尽きることなく、読み進められました。これからも、何らかのヒントを得たいと思うときに、この記事を思い出して、読み返すことでしょう。

多岐にわたる話題のなかで、ここに書き留めておきたいと思ったのが、介護老人保健施設で羽生さんが認知症を患っている方と対局をされたエピソードです。

序盤から進んでいって、難しい局面になると考える時間が長くなるのはプロもアマチュアも変わりがないでしょうから、その方が次の手を指すのをじっと待っていたんです。すると、しばらくして「羽生さんの番ですよ」と言われました。ビックリして、私がその前に指した手を説明して、次の手を指すことを促す……そんな場面が何度かありました(笑)。

そこで、対局を終えることもできたはずなんですが、相手の方が盤上に向ける視線を追ってみると、頭の中で現状の局面を分析し、次にどんな手を指すのが最適なのかを考えている様子が、こちらにありありと伝わってきました。つまり、認知症によって手番を忘れるといったハプニングはあるけれど、私とその方との間に行われていたのは立派な将棋の対局だったわけです。

目の前の認知症の方が何ができて、何ができないかをその場で判断されて、対局を行われたというのは、介護現場で求められる認知症の方との関わりと本質的なところで同じだと思い、尊く思われました。
また、対局を通して、認知症の方の思考が巡り続ける様子がよく伝わり、その姿が美しく感じました。

できなくなっていることもある状況では、残存している機能が輝きを帯びて見えることがあります。羽生さんと対局された認知症の方では、盤面に集中して、脳内で駒を動かしてシミュレーションすることが、できることとして残されていました。
私が対局したわけでもなく、その場に居合わせたわけでもないながら、その輝きが手に取るように伝わるエピソードだと思いました。

<参考記事>

常に挑戦の「平成の王者」羽生、無冠返上は目の前に(毎日新聞有料記事 2018/12/21)
藤井聡太竜王、最年少で2人目の七冠達成──歴代の棋士が打ち立てた金字塔(nippon.com 2023/06/01)
将棋 藤井聡太八冠 前人未到の「八冠独占」 その高みとは(NHK 2023/10/12)
羽生善治永世七冠が語る人間とコンピュータの違いとは(PHPオンライン 2022/10/06更新)

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