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県大会の空ランキング

春の松山市を訪れた日のことである。

私はその前日から、瀬戸大橋を渡って四国入りしていた。松山市内のビジネスホテルに一泊だけして、チェックアウトして街へ出てきたのだ。この日は道後温泉の宿に泊まることになっていた。予約した宿のチェックイン時間まで予定が空いていたこともあり、松山城を散策しようとリフトに乗りこんだ。
市街地から松山城まではリフトとロープウェーで結ばれている。春風に吹かれながら小高い山を登るのはとても心地がよい。
山頂のチケット売り場で入城券を購入し、城郭の内部へ足を踏み入れてみると、そこは近世そのままの趣を残した世界である。戦を想定した無骨な造り。足を踏み出すたびにギシリと音の鳴る板張りの廊下を進み、急な階段を登っていくと、天守閣に至る。
そして、この日天守閣から見た景色は、今日まで忘れ得ぬ記憶となっている。

松山城の天守閣から春の松山市街を見下ろす。そこには、瀬戸内海に抱かれ、山の緑と街とが絶妙なバランスで調和したパノラマが広がっていた。天守閣に吹き抜ける風と、突き抜けるような青空、真っ青な瀬戸内海、眩しい新緑、市街地の喧騒。まるで浄土と見紛うような美しさであった。なんたる爽快感、そして郷愁…。

街の向こうに瀬戸内海がある
よく晴れていた


気を抜けば、街と一つになってしまいそうだった。そうして、なんとも形容しがたい高揚感とともに、この街で生まれ育った人々への強烈な羨望が芽生えていた。
「なんて美しい県庁所在地なのだろう。ここで生まれ育った人が羨ましい。青春の1ページにこの街があったらなあ。どうせなら県大会でこの街に来たかった」

その夜、道後温泉での湯浴みを終え、部屋で夜食の握り飯を頬張りながら、私は石川県民と愛媛県民に対する名状しがたい嫉妬心を抑えきれずにいた。

以前noteへ上げた「異性に生まれ変わったらしたいこと一覧」は、身内向けに書いた記事とはいえ、それなりの反響をいただいた。

この記事では、なぜか舞台の街が能登もしくは愛媛に限定されている。私は北陸や四国の出身ではないし、かといって故郷が嫌いなわけでもない。むしろ愛着を持っているくらいだ。
それでも、わざわざ金沢と松山という地名を出したのは、「県大会でこの街に来たかった」という強い思いからである。

青春時代の思い出といって、いくつか思い出す出来事がある。その1つで鮮やかな色彩を放っているものが、高校の時分、部活動の県大会へ出かけた日のことだ。
私の通っていた地方の高校は、県庁所在地にあったわけではない。したがって部活動で県大会へ行くとなると、それだけで1日がかりであった。友人たちと電車に乗り込み、クロスシートで駄弁りながら、大きな街へ出るのだ。大会が終わったあとは、顧問の先生にご飯を奢ってもらったり、みんなで買い物へ出かけたりする。家と学校が世界の全てだったあの頃のことだ。大げさでなく、同期たちと繰り出した街の景色が本当に輝いて見えたことを憶えている。

更に言えば、「県大会で県庁所在地を訪れる生徒」という身分は得難いものだ。出張でもない、観光でもない、友人や親族を頼って来ているわけでもない、もちろん住民でもない。何者でもない異邦人である。
それくらいの年頃の人間のうち、自らの意思で住む街を選べた者は多くない。基本的に、生まれた家庭のある場所に、好むと好まざるとに関わらず住み、家では子供として、学校では生徒として過ごす。そして、それ以外の居場所を見つけることは容易ではない。
そんな年頃の少年少女が、県大会の日だけ、既存のコミュニティから少し離れて、ひととき、何者でもない自分として過ごす。
その解放感に酔ってはしゃぐ我々を、少し心配そうに見つめていた顧問の先生の眼差しの意味が、今なら少し分かる気がする。

御託を並べたが、なにしろ県大会は、ふだん部活動で汗を流している仲間たちと、見知らぬ大きな街を訪ねる稀有な機会だ。プチ修学旅行とでも言おうか、えもいわれぬ非日常感が付きまとうのが、県大会の日なのである。

私が県大会の日を過ごした街は、たしかに美しかったけれど、少し物足りないところがあった。同じ県庁所在地なら、松山の大街道や金沢の香林坊で友人たちと県大会の日を迎えられていたら、どんなに素晴らしかったことだろう。時折、そんなことを思う。

私が松山と金沢を訪れたのは、高校を卒業した後のことだ。この2つの街は、地方の県庁所在地としては別格の魅力を持っていると思う。ともすれば画一的で退屈な街並みになりがちな地方都市の中で、宝石のように輝いている。海と山と街が絶妙なバランスで融合し、洗練されていながら、高度な郷愁を醸し出す。四国と北陸には縁もゆかりも無い私だが、金沢と松山には“おばあちゃんち”があるような気がする。うまく言えないが、あるような気がするのだ。

それに、金沢か松山なら、進路希望調査書を書きあぐねて埠頭に繰り出せる。
あの記事には、私の身勝手極まりない無い物ねだりのノスタルジーが綴られている。


県大会で空を見上げたい街ランキング

1位 松山市
2位 金沢市
3位 富山市

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