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ないけれど、あったもの

庭の片隅に、ふきのとうが出てきました。
収穫して、ふき味噌やてんぷらにして食します。
ちょっぴり、ほろ苦いのが良いのです。

春が待ちどうしくなると、よくお風呂で『早春賦』と『朧月夜』を歌ってしまいます。きっと子供のころの風景を思い出すからだと思うのです。

小学生のころの私は、単独でよく野良を放浪していました。小さな田んぼの土手や、小川や河川敷の土手、線路の土手を歩き回って、春は、ネコヤナギの枝を折って、フキノトウやヒロゴ、ヨモギの新芽、こごみなどをギャザリングするのです。それから、側溝掃除で泥と一緒に上がる、ドジョウをつかまえたり、秋は、ススキを折って、グミの実をたべたり、銀杏を拾ったり、イナゴを追いかけたり。

気づけば、菜の花畑に入日薄れ、山の葉も、田なかの小径を歩く自分も、薄暗がりでかすむ頃になっていて、夜に追われて家路を走るのでした。

私が物心ついたころの家は、間伐材で建てた掘立小屋。居間と寝室しかなく、もちろん風呂無し、トイレは外に別建。夜トイレに行けない私は、泣いておまるを離しませんでした。

小学校に上がると、立退料と共に移転した掘立小屋は、やっと風呂、トイレ、その他もろもろ増築して、人家のようになりました。

未亡人の祖母と、私が乳飲み子の時シングルマザーとなった母と、縁遠い叔母と、女ばかりの生活でした。私が保育園にいる間、祖母は公道のアスファルト化の作業員、母は弱電や縫製の工員、伯母は公共料金の集金員として働き、休日は私も一緒に、農家の手伝いに行く生活でした。

今から比べると、ないものばかりの時代で、生活でした。
でも、自然のなかでのおもしろい労働や、家族で過ごした時間、地域の人との関りが、心地よく、豊だったと思うのは、年のせいでしょうか。

現在無職で、スマートな家計を模索中ですが、宅地が進み、農地や河川の整備がされた近隣には、もうギャザリングできる場所はありません。
山間部も自然保護と、獣の増加で危険度が増して、とても無理です。

水洗トイレも、電気給湯器も、調理機器も、通信機器も、テレビもDVDプレイヤーも無い生活をしようとは、今のところは、思っていません。

時の流れが不可逆性なのは、よ~く存じております。
過去は、データとして参考にはなりますが、時と共に環境は変化していくので、戻すのではなく、新たに構築していかなくては、ですね。

さて、どうしたら、快適な道具がある環境で、子供のころに感じた、心地よい労働やコミュニケーションの時間が得られるのやら・・・・・・

とりあえず、このフキノトウは、採取後すぐに天ぷらにして食べました。
おいしかった。ちょっと幸せ。
でも、夫と子供は味覚が違うので、食べないんですけどね。

今日は、こんなところで。

読んでいただいて、ありがとうございます。心より、感謝です。






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