自己紹介(20代)
書かなきゃと思っても難しいですね、自己紹介
とりあえず染色からざっくり
女子美の工芸で染色を専攻した
入りたくて入ったものの、若かったからか民藝中心の教えに反発して素直に創作できず、軽音楽のクラブに入部
女子美なので女の子バンドでドラム担当
コピーバンドから始まり、いくつかバンドを経験し、女のドラマーっていうだけで仕事も多少あったりとバブルな時代
素直に創作できないまま、バンド活動に明け暮れ、卒業後も就職する気にならずフリーターで食い繋いでドラムを叩く…そんな生活
同時に、メンタルが落ちて自分を許せなくなり、本格的に病まないけれど、生まれ変わりたいという願望から、裸一貫やり直すという不思議な思考回路に陥る
それが、スチール写真の裸モデルの始まり
アラーキーさんなど有名な写真家に撮ってもらって、イイ気になって被写体になる
そんな風変わりなドラマーは、その後ハイテクノロジー・スーサイドに参加
当時から伝説のパンクバンドで、ライブは何が起きるかメンバーにも分からない
紅一点の女ドラマーの衣装にNGがなかったので、全身網タイツだったりとホントやりたい放題だった
バンドが解散するとなって、気が抜けてドラムを続ける気持ちを失う
そこから、グラビアとかのヌードモデルの仕事を取り、仕事がなくなっていった頃に舞い込んだのがピンク映画の女優
裸に抵抗が余りなかったとはいえ、AVには抵抗があった。ピンク映画の女優(以後、ピンク女優)は、不思議な仕事だった
ピンク映画というのは、濡れ場あり本番なしの映画で日活ロマンポルノとある意味似ている成人映画
当時の撮影は、35ミリのフイルムだったので、演出や技術の面々は一般映画に進出する足掛かりだったし、実験的な作品もある程度許されていた
フイルムは今も昔も高価なので、映画人にとっては貴重な機会だったらしい
でもピンク女優は、新陳代謝が激しい
女房と畳は新しい方が良いなんて古い言い方だけど、初脱ぎは歓迎されても裸っていうのは見ちゃうと気が済むのが男の本音らしく、その世界で長生きするのは脇役にならないと難しい
ピンク女優には様々な入り口があって、AVから来る人もいれば、劇団から来る人もいる
裸になって仕事する割にギャラは安いから、お金のために脱ぐというより縁があって脱いでいる
裸になれる人っていうのが、私とピンク映画を繋いだ
書いてみると、慌ただしい20代
染色どこ行ったって自分でも突っ込みたいけれど、それは別の機会にしましょう
ピンク映画の話もしてみたくなってnoteを始めたので、この話は少しずつノンビリ書いていきます
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