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反分析的思考

雑多な引用から、創造的な思考のためのヒントについて、まとまりがない形ではあるが示してみたい。というより、勝手に放り出すかんじですが。

反分析的思考
・「差異を言い立てるのではなく、類似を探そう。」(←松岡正剛によるバーバラ・スタフォードの紹介から。)
・私には日本人論は書けないことだけはたしかである。人種間の差異よりも共通点のほうが目についてしまうからである。(神谷美恵子・著作集9「遍歴」)
・「分ける」だけでなく「つなげる」こと。分析よりも包摂(Prehension)。
・性質・機能・属性だけではなく関係性を重視せよ。
・分析のみに加担しないような哲学
・過剰な哲学ではなく、「ちょうどそのぶんだけの思索」を!

アイディアの出し方(松岡正剛による)
・「アナロジー」による仮説、「メタファー」による思考、「ヴィジュアルスタディーズ」の重要性。
・「知」の3つのレベルを意識せよ。
  ➀個別知(パーソナルナレッジ)
  ②共同知(コミュニティナレッジ)
  ③世界知(グローバルナレッジ)
 そしてそれらをまたいでつなげること。
・「知」の3つの見方、手法
  ➀「分母」と「分子」の想定:ピアノ / 楽器
  ②巨視と微視:マクロとミクロ: 鳥瞰的と臨場的
  ③「親」と「子」:系統発生
・「あるもの」のみをマーケティングするのではなく「不足」を発見すること。足し算でなく引き算。
・「Deduction (演繹)から結論を導く+Induction(帰納)でそれを検証する」それに加えて「 Abduction仮説を提示すること!」論理に縛られずに。発想すること。「仮説提示力」すなわち「デザイン」が重要。
「橋をデザインするのではなく、川をどう渡るかをデザインしよう。」

賛成すること、提案すること、ボケること
・何に対してであれ、反対する書物はいかなるものもけっして重要ではない。なにか新しいものに「賛成する」書物だけが問題になる。そしてそれが新しいものを生み出しうるのだ。(ジル・ドウルーズが構造主義やヌーヴォーロマンに反対する書物に対して、構造主義を擁護して)
(←その後のポストモダンが、揚げ足取りやメタ化による上書き、おおげさなイデオロギー支配の一般化によって、つまり批判のための批判理論に堕落することによって、生産性を全く失ってしまったことは、皮肉なことに周知の事実だが。つまり、現在、学問の世界では、重箱の隅をつつくツッコミばかりの声が大きくなって、もとのボケがなくなっている状況、ウェストランドの井口一人漫才のようになっている。)
・ひとに与することのできぬものは、沈黙すべし。(ベンヤミン「批評家作法13か条」)
・誤りをおかさないものは何もしないものだけである。(レーニン?)
・時代は「白黒はっきりつける」「グレーは許さない」ツッコミの時代になった。あうんの呼吸で成り立つ「プロレスラーのテクニック」ではなく、少々下品でも「素人のマジ蹴り」が歓迎されるのだ。ある意味それは息苦しい時代。(プチ鹿島「教養としてのプロレス」)

まずいったんそこでは信じてみること
・「Suspension of disbelief(疑念をいったん棚にあげること)」
(テリーファンクジュニアがプロレスについていった言葉。「プロレスとかかわっていくうえでいちばん大切なこととは?」と問われて)
「疑う者だけが裏切られる。リングの真実は、信じ切っているものにしか発見できない。」(ミシマ社ブログ2008/10/22・小田嶋隆の週刊SPAにおける「みんなのプロレス」書評から)

これとは矛盾するけど、、、
●物語の多様性を信じる
●教養のない人間の欠点は物事を信じすぎる点にあります。
教養ある精神の中には、多くの思想が一致しないまま一時的に妥協しあたかも共存しているかのようです。
モンテーニュの場合のように、イエスとノーが仲良く同居していることは、あらゆる意味で、公正な精神の特徴である。
他方、賢者が何一つ疑わないのも事実であり、モンテーニュもそうであった。彼らは多くを疑うというより、物語の多様性を信じる、といった方がよかろう。(アラン「裁かれた戦争(2)」ブログ憂愁書架20070602)

●「よい頭」より「丈夫な頭」
●ズバッと一刀両断できるような切れ味のいい知性は、今みたいな時代にはあまり役に立たない。ことの正否を急いで決めずに、いろいろな仮説を未決状態のまま走らせることのできる「大きな知性」の方が役に立つ。「頭が良い」より「頭が丈夫」。
●矛盾を矛盾のままにしておくことで、知的スキームそのものが矛盾を解消できるようにバージョンアップすることがある。
(内田樹+釈徹宗・ミシマ社ブログ20210125)
●複雑なものを複雑なまま扱うには「よい頭」というよりは「丈夫な頭」が必要。
●複雑な話を単純化する「切れ味のよい仮説」の賞味期限は長くない。しかし頭の良いひとは、なかなか仮説を撤回せず、間違いを認めないようにとりつくろう手際だけはいいので、それは集団的知性にとってはむしろ有害。
←宮台真司とか、自分はすべてわかっていて、他の人はみんなバカだっていう話しかたで、ひろゆきと似ていて、ほんと不快になる。顔もなんか似てきているのでは。
●「うまく説明できないこと」をそのままにして、パブリックドメインに公開し、タグをつけて後世あるいは他の人に託すること。
●「知性の不調についての点検報告書」のような本もまた必要。
●「単純にわりきれて、心安らぐお話」をつくることよりも、複雑さ込みで高い解像度で記述することも大変な仕事だ。
(内田樹「待場の平成論」まえがき)


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