見出し画像

かっこいいフレーズpart2「女子~!」

「かっこいいフレーズ」がなんか好評で、書いている自分も気持ちがいいので、第2弾をはじめたが、話が変なほうに転がって行ってしまった。伊丹十三に「女たちよ!」という面白くも厳しいエッセイがあったが、こちらは女子への励ましのつもりです。

●みもふたもない化粧のCM
・「メイクが目立たないメイクこそ、もっとも目立つメイクである。」
・「したたかな無防備がこの世で最も愛される。」
・「男が求めるのは、すっぴん顔でなく、すっぴん的な顔だ。」
・「骨さえキレイなら、のせる色はミニマムになる。
・「お仕事柄、死守せねばならない顔(メイク)がある。」

(雑誌VOCE:2009年9月号の電車の吊り広告より)
←吊り広告に感動して思わずメモした。2009年当時は、まだあくまで男目線を意識した化粧テクニックのアピールだった。いまはもう、男なんか関係なく、自分を高める美容哲学へと変化しているように思える。
・「骨さえキレイなら」の「骨」がすごい。途中の「皮膚」とか「美肌」の化学的ケアを通り越して、なんか骨相学というか、小顔矯正の力学的な「大リーグ養成ギブス」的な凄絶さに感動する。
・「骨まで愛して」という歌があったが、作者の川内康範によれば、自分は召集を逃れたが、外地で散っていった仲間の兵士たちへの、懺悔を込めたとのことである。彼は戦没者の遺骨収集に生涯をかけて尽力した。

愛されフェイス
「小嶋陽菜について:この子は本当に映像が決まる。しゃべるとぐだぐだなのに。特に男と一緒に映した時の『愛されフェイス』とでも言いましょうか、これはもう天性のものだね。素晴らしい資質。」(ブログ:テク憧20120628)
←「愛されフェイス」「映像が決まる」という言い方のすがすがしさ。とーぜん男目線のディスクールですが。

内田るんの冴えたコメント
「そのままの自分を愛されようとか、どんだけ素材に自信あんだよ。盛れよ、デコれよ、キャラづけしていけよ。そこまでやってからが『本当の自分』だろ。」(美輪明宏のお言葉の内田るんによる要約:内田るんブログ20140107)
・「そう、みんな考えなさすぎなんだよ。私のこと、みんな『考えすぎ』って言うけど、みんなが考えないから代わりに考えてんだよバカ―。」(ブログ20111227)
・「才能のあるやつに限って、愛され慣れていて、自分から世界に歩みよらねー。謙虚になれ!」(ブログ20100620)
・「『知ってる』なんて無意味だ。出会って触って味わって影響されてくれ!インターネットなんて中身はないけど、きっかけだけならあふれてる。」
・「地震があって、行動がより積極的、感情的になった部分が絶対にある。いままで気づかずにいて、こんなに恵まれていたのを、目の前に並んでいた大好きなものに素直に手を伸ばさなかったのかも、てのが情けない。」
・「もうそんな意地を張る歳じゃないだろ。謙虚さがあれば、与えられるものは全て遠慮なく『いただきます』するのものだ。」
・「感情が上下するチャンスを逃すな。何も感じなくていいなら人間である必要がないんだから、泣くのも喚くのもラッキーだ。」
(上4つはブログ20110419:震災後のなまなましい発言で、今でもなんか感動する。)
・「『音楽なしでは生きていけない』って言葉はどこか音楽に失礼な気がして好きじゃない。それは音楽に依存してるだけで、そこのお前の意志はあるのか?と。」
・「『なんだかんだ言って、俺ってお前無しじゃダメ何だよね、、、』って態度に、夫婦善哉的なロマンチックさを感じるのはわかるが、本当は『お前無しでも死にはしないけど、俺はお前がいいんだよ!』って言って欲しいね!」(ブログ20130920)

●「美容は自尊心の筋トレ」(長田杏奈)
・「ただこういうタイトルで本を出すと、ブスと自称する権利、おばさんと自称する権利の侵害をしているんではないかという意見をもらうんですね。けれどもこれはあくまでも一案であって、こうしろと強制するものでは決してないんです。自分と違う意見があることに、もっとみんな慣れた方がいいんじゃないかと感じます。」
「『私なんて』って全部人に譲ってしまうのは健全じゃない。どんどんそこにつけ込まれて傷ついてしまう。」(ミシマ社:みんなのミシマガジン:20190909)

「こじらせ女子」(雨宮まみ)
内田るんとか鈴木涼美とか水野しずとかを読んでいて、みんな生きているのがつらそうで、傷つきやすそうで、こっちがはらはらする。あまりにも、自分と向き合い過ぎて、自分について考えすぎなのだ。紅しょうがの熊元プロレスではないが「女子~!別の雑務で気を紛らわせたほうがいいよ~!」といってあげたい。なぜなら「雑務をしてこそ雑念が消える。@みなみかわ」
・そういう女の人を「こじらせ女子」というらしい。2013,2014年流行語大賞ノミネート。命名者の雨宮まみさんによれば:
 ▶30才すぎの独身女子で東京でひっそりと生息
 ▶低すぎる自己評価×強すぎな自己愛
 ▶自分の女性性に自信が持てない
 ▶スクールカーストに傷ついてきた
 ▶女子内でのヒエラルキーに敏感
  (非モテ→セフレ→テクニックモテ→天然モテ)
 ▶ひきこもり型・腐女子型・大和なでしこ型・婚活疲れ型
 ▶強烈なフェミニズムをもちながらナイーブで傷つきやすい
 ▶男性目線を内面化してしまった女子
・可哀そうなことに、繊細な雨宮さんは、2016年に40歳でお亡くなりになってしまった。フェミニズムを貫徹させて戦ってたくましく生き抜いた場合は、結局上野千鶴子とか田島陽子のような、金持ち自慢の晩年しかないのかもしれない。

●身体の政治的使用
・かつて内田樹は、ビジネスライクに援助交際を擁護する上野千鶴子にたいして、次のように丁寧に、身体論を説くことによって違和感を表明している。すなわち:
「『お金』をほしがるのは脳である。当たり前のことだが身体は『お金』を求めない。身体が求めるのはもっとフィジカルなものである。やさしい手で触られること、響きのよい言葉で語りかけられること、静かに休息すること、美味しいものを食べること、肌触りのよい服を着ること・・・身体は『金』とも『政治的な正しさ』とも関係のない水準で、そういう望みを控えめに告げる。ただ脳はたいていの場合、それを無視して『金』『政治』『権力』『情報』『威信』を優先的に配慮する。私は脳による身体のこのような中枢的な支配を『身体の政治的な使用』と呼んでいる。」(内田樹ブログ:20130521)
これは援交を擁護する上野千鶴子や宮台真司らへの、痛烈な批判なのではないだろうか。交際によって傷つく身体の声を無視できて、「金」や「政治」でしか語れない彼らを、憐れみをもって断罪しているのである。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?