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高齢者に負担を求めたり、安楽死を議論するのは優生思想か?
高齢者冷遇は優生思想?
前々回で、日本維新の会やvoicyパーソナリティの方々が「高齢者や生活保護者にも応分の負担を」「安楽死の議論を」と主張しているのを紹介しました。
こう言う話をすると、「役に立たない高齢者は死ねと言うのか、ナチスや植松聖の優生思想だ」と必ず言ってくる人がいます。私の妻もその一人で、よく議論になります。しかし、果たして老人を冷遇するのは優生思想なんでしょうか?考えてみました。
過酷な環境では老人が犠牲になってきた
最近、フェミニズムで有名なシモヌ・ド・ボーヴォワールの「老い」を紹介する動画を見たのですが、そこで酷寒のシベリアで生活する部族の老人に対する扱いに衝撃を受けました。その内容を抜粋して紹介します。
資源が不十分な農耕社会、あるいは変化の多い移動社会では老人が犠牲になる傾向にある。…過酷な環境の中で、移動しながら生きるシベリア部族にとって、時に老人は共同体の重荷となる。そこで彼らは足手纏いになった老人に対して死を宣告し、それに承諾した老人には盛大な祭を催し、仲間達と最後の晩餐を楽しむ。その最中、タイミングを見て彼らの息子や弟がこっそりと背後から射殺した。
これらの事例は、社会生活の安定や変化のスピードが老人の幸福や尊厳に影響を与えることを示唆している。
上の動画から抜粋
シベリア部族は優生思想でこの様な事をやっていた訳ではないでしょう。自分達の共同体を維持するために、仕方なくやっていたと思います。
つまり、老人が社会生活の重荷だから排除しようとする思想はナチスに限らず、過酷な環境に生きる部族にとっては当たり前の事だったわけです。
しかし、私達現代人は倫理観や法律によって縛られているため、シベリア部族の様なことはしません。一方で、少子化という「人的資源の枯渇」、ネット社会という「変化の激しい移動社会」においては、高齢者に応分の負担を求めるのは至極当然と言えるでしょう。
老人の知恵は現代社会では害悪である
昔はインターネットなどないので、落語で登場する、熊さんを諭すご隠居が大事にされましたが、今や知識や情報はインターネットが教えてくれます。年寄りの経験は全く頼りにならず、私の母の様に、テレビに洗脳されて孫にマスクを着けさせる様になっては、もはや害悪とも言えます。
もしコロナ禍でも独身だったら今頃親と絶縁してたか、同じ様にテレビに洗脳されてコロナ脳になっていたことでしょう。
老人が敬意を持たれるには
上の動画では、ただ生きてるだけで敬意を払われる訳ではない事はプラトンとアリストテレスの時代から議論されていた事を紹介してます。経験が役に立たず、現役世代が青息吐息で支払っている社会保障費で生活している老人がどの様に尊厳を持って生きる事ができるのか。私の考えはこうです。
現代の価値観で誰もが納得する物は「カネ」しかない。
老人が使っている「カネ」は現役世代からの贈り物である事を自覚しろ。
この世は「仮の宿」なのだ、必ず立ち去らねばならない事を自覚しろ。
今度、総選挙がある時、どれだけの高齢者と現役世代がこの3つに気づくかで日本の将来が決まると思います。
なお、最後の「この世は『仮の宿』」は、キケロの「老年について」の最後の動画に紹介されていたので、引用しました。この動画もオススメです。
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