アンダーソン・パーク、アナ・ロクサーヌ、ショーン・ワサビ、ジンジャー・ルート...アジア系ルーツのアーティスト達のクリエイティビティ。
2015年以降とりわけ印象的なのが、アジアをルーツに持つアーティスト達の活躍である。
現在、世界的なムーブメントの渦中にあるK-POPや88rising界隈の話というよりは、もう少しインディペンデントなフィールドでの話をしたい。
ショーン・ワサビ(Shawn Wasabi)はカリフォルニア出身。フィリピン系の両親を持つアメリカ人である。 2015年に自身のSNSにあげたMIDI Fighterでのパフォーマンス動画が大バズり(2024年現在YouTubeで4000万再生超え)し、極才色に発光するMIDI Fighterというゲーミング世代を象徴するマッシュアップ機材を世界中に知らしめ、それとリンクするようなショーン本人のカラフルでポップなキャラクターと音楽性も相まって一躍新世代クリエイターとしての地位を確立している。
LEMONS feat.kennedi(2020) / Shawn Wasabi
the snack thats smiles back feat.raychel jay(2019) / Shawn Wasabi
アナ・ロクサーヌ(Ana Roxanne)もショーン・ワサビと同様にフィリピン系アメリカ人としてサンフランシスコに生まれる。
マスロックバンドのベースとして3年間活動したり、インド旅行で出会った北インド古典音楽の師匠と共同生活したり、スティーブ・ライヒの輩出で有名なミルズ大学で電子音楽とスタジオレコーディングを学んだり、アカデミック/ストリート両面で多様な音楽的素養を吸収して、フラローとも懇意なMatthewdavid主宰のレーベルLeaving Recordsよりデビューを果たす。
ヒンドゥスターニー、ニューエイジ、エレクトロニカ、アンビエント、サイケデリック、ドローン、聖歌といったアヴァンギャルドを包括する音楽性のほか、加えてアナ自身はインターセックス(男女双方の性器的特徴を持つ)としてのパーソナリティを持ち、ジェンダーとアイデンティティに関するメッセージを発信できるアイコニックな存在としても期待がかかっている。
セカンドアルバムは、私も大好きドローン界の御大ティム・ヘッカーの諸作で知られるシカゴのレーベルKrankyより。
I'm Every Sparkly Woman (2019) / Ana Roxanne
Venus(2020) / Ana Roxanne
ジンジャー・ルート(Ginger Root)ことキャメロン・ルーは、楽曲制作のみならず自身でMV制作からジャケットデザインまでを手掛けるマルチクリエイターであり、近年のシティポップリバイバルにおいて楽曲の魅力、ヴィジュアル面でのオマージュの完成度を含め、コンセプチュアルなシティポップフォロワーとして一番名の知れた存在だろう。
竹内まりやが自身のラジオで紹介したことで日本国内でも話題となり、そのあまりのシティポップフォロワーっぷりで日系人と勘違いしてる人も多いかもしれないが、南カリフォルニア在住の中国系アメリカ人である。
中国系ルーツでありながら日本のシティポップを愛し現代的な感性でアップデートしてくれるジンジャー・ルートの存在は、日本の音楽ファンにとってはパキスタン人が経営するインドカレー屋さんみたいな独特のねじれた魅力を持っているし、自身の曲を日本語バージョンで発表したり、独学で学んだ日本語を駆使してMCをする彼の真摯な姿は、日中の政治的ないざこざを、ポップカルチャーを通じて友好的なフェーズに押し上げる新世代のクリエイターとして応援したくなる気持ちにさせてくれる。
Loretta(2021) / Ginger Root
Only You(2024)/ Ginger Root
アンダーソン・パーク(Anderson .Paak)は韓国をルーツに持つ。「paak」は韓国名「朴(パク)」から。
パークは10代で楽曲制作を始めたが、25歳の時に雇用先のマリファナ農園から解雇され、妻子共々極貧のホームレス生活に突入する。そんな最中もダムファウンデッドやシャフィーク・フセインといったカリフォルニアのアジア系ヒップホップコミュニティの人脈に助けられながら、ドラマー、そしてラッパーとして音楽活動を地道に続けていた。
そんな努力が身を結んでか、あるきっかけでドクター・ドレーに見出され、ドレーの2015年発表のアルバム『Compton』の16曲中6曲にフューチャリングクレジットされるという衝撃の名売りデビューを果たし、90年代のBECKみたいな成り上がりヒストリーで2010年代の音楽界に突如登場し一躍時代の寵児となる。
ケンドリック・ラマー、Jコール、ドレイク、Qティップにスヌープ・ドッグ、アンドレ3000、フラローからサンダーキャットに至るまで、およそ名前が思いつく新旧の大御所ラッパー、クリエイターたちとの共作や客演を連発し、2017年以来ほぼ漏れなくグラミー賞ノミネートの常連であり、今やテン年代以降のブラックミュージック界の顔役となっている。
Parking Lot(2016)/ Anderson .Paak
Place to be(2024)/ Fred again..& Anderson .Paak
欧米圏の音楽ファンは、少なくとも2000年代ぐらいまでは「アジアの音楽」や「アジアのミュージシャン」に対して、純粋な音楽的魅力よりも、西洋音楽理論から逸脱したミステリアスなエキゾチックさ、もしくは過激なオリジナリティへの興味が先に立っていた。ビートルズがインドに傾倒したり、欧米圏でジャパノイズのコレクターが生まれたりしたのも含め、「良い意味とも悪い意味とも取れる偏見」が、アジアの音楽の価値を形作っていた、ということである。
日本の音楽に関して言えば、例えばボアダムスもメルトバナナもメルツバウもアニソン界隈も、欧米の音楽ファンにとっては、「過剰で過激で計算外」な存在として消費されていて、要するに「ヒットチャートやグラミー賞とは別の土俵の音楽として」認知されていたきらいがある。
欧米圏のミュージックシーンにおいて日本およびアジアルーツ系の音楽は常に「飛び道具」扱いで、ピッチフォークやカレッジチャートがたまにその特異性に着目して騒ぎ立てる材料としてしか見られていない印象が強かった。
しかし2010年代以降の動向として、ショーン・ワサビやアナ・ロクサーヌなど、とりわけフィリピン系をルーツとするアーティスト達の台頭が顕著である。
そのきっかけは間違いなくブルーノ・マーズの存在で、2021年にアンダーソン・パークとのユニット(Silk Sonic)でアルバムを作り上げたブルーノ・マーズもフィリピン系をルーツに持つスーパースターである。
これがポリコレの流れに準じた意図的な潮流なのか、それとも人々の純粋な感性による本来的な価値判断なのかは神のみぞ知るところだが、いずれにせよ「アジア系はクリエイティビティの才能として劣っている」という前時代的偏見は、上記のアーティスト達の活躍と尽力によって緩和の方向に向かっていることは確かである。
なんというか、MLBにおいて「日本人らしさで」活躍したイチローと、「単純な力比べで」活躍している大谷翔平との違いに近いものを感じるし、今後アメリカで日系人の超弩級の音楽スターが出てきたら面白いのになー、と夢想したりする昨今である。
今日の一打席目のファールも惜しかった。