見出し画像

可視化できていない幸福の存在


前回の記事がいつ書かれたものなのか確認したところ、4月2日となっていました。

1ヶ月以上、自分が書くことから遠ざかっていたことに驚きを隠せません。

4月2日から今日までの私の経過はというと、絶賛無職を堪能しております。

有休消化期間を終え、最後の給料日も終了を迎えました。

現在残るのは、少しの預金と中古の家と大切な家族だけです。
そして、以前よりもどこか健康な体。

先ほどさらっと書きました通り、中古物件を購入しました。同世代の子は、新築の住宅を購入するか、アパート暮らしを続けるかの2択です。だいたいそうです。

そんな中、夫と私が選んだのは、中古物件のリノベーション。何か運命がそうさせたのか、今は義父も無職。若い頃に建築関係に勤めていた義父と共に、毎日家の修繕に勤しんでいます。

今までになかった過度な肉体労働に、日々疲労困憊ですが、有休消化期間の不眠には一切悩まされなくなりました。グッと寝られるようになりました。

元々地方の住みですが、地元とは違い山の近いところの物件を購入。玄関からは、地元の山々が一望でき、物件は「the田舎のおばあちゃんの家」と言った感じ。(めちゃくそにでかいです)

水廻りの解体から始まり、壁や床をぶっ壊し、廊下の床を張る。

軒には熊蜂が住み着き、翌日行くと蜘蛛の巣ができている。燕が家の中を徘徊し、前の側溝では鴨が泳ぐ。

毎日忙しなく仕事をしていた頃には忘れていたものが、少しずつ戻ってきている気がします。
自然との触れ合いって大切ですね。

そして、何より大工さんなどの専門職の方への尊敬の眼差しが強くなりました。

家を建てる、配管を治す。普段普通に使っているものがないことへの不便さや、それがあることへのありがたみを感じるとても良い機会になっています。

日本には、モノやサービスが溢れすぎている。そして消費されすぎている。それだから、ありがたみや、それがあることへの幸せ感が薄れているように思います。

日々痛感しています。

日本人は、幸せ慣れしすぎています。それには、モノやサービスが多すぎた。

水が出ることに喜び、鳥のさえずりが聞こえ笑い、家の作りに感動し、草刈りをして汗を流す。

今は、お風呂もトイレも無いので、家に住める感じはしていません。メチャクチャに不便です。けれど、なんだか最近幸せなんです。

家の修繕をし始めて、幸せの基準が下がったように思います。何にでも感謝の気持ちや幸せ感を覚えます。

お金はないけど、毎日ラッキーです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?