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学校“が”大事というより学校“も”大事


平日の昼間の図書館。
平日やすみなのか、平日も休みなのかわからない大人がポツポツと見られます。

その中に、お母さんらしき方と、小学生くらいの男の子が。
前職の関係、有休消化期間でもう暦や曜日感覚が狂っている私。けれど今日は平日。

学校があってもおかしくないのになぁ、と。
けれど、学校に死ぬ気で行くほどの理由があったかな、と。そんなことをふと考えました。

今私は妊娠、出産の経験がありません。
けれどもし、子供ができたのであれば。そして、子供が学校に行きたくないと言ったのであれば。

たまに考えることです。
絵空事でしかないかもしれません。

とりあえず理由を聞きます。
正当な理由があるのであれば、私は学校に行かなくて良いと言うかもしれません。

子供と一緒に一日中、お笑いの番組を見ているかもしれません。
子供と一緒にご飯を作って食べるかもしれません。
子供と一緒に買い物に行ったり、図書館に行ったりするかもしれません。

学校に行くことは、大切だと思います。
けれど、学校に必ず行くほどの必要性があるか、もしくは、その学校に行く必要があるのか、と言われれば「うーん」。

まだ、親でないからこそ、そんなことが言えるのかもしれません。

昔、私は何度もいじめられた経験があります。なんなら、いじめていた過去さえもあります。

理由なんて些細なことでしょう。まだ育ち切っていない脳みそが考えることです。

小学校、中学校と、どちらもの経験があります。

生徒数が少ない田舎の学校。「あの子を無視しよう」なんて学年の1番偉い子、目立つ子が言えば、勝手にそうなります。いじめる側も、いじめられる側も。

地元にも高校がありましたが、そのいじめの大半が進学する様子がありました。私は絶対に地元の高校に進学するのが嫌でした。またいじめられるかもしれないという恐怖に近しいものでしょう。
また、自分の学びたいと考えていた介護が学べる学校が、バスで通える距離にあったことも理由としてはありました。

そうして、バスで通える高校に進学。

制服の採寸の時点で、生徒数に驚きます。そして、入学数日で、自分と趣味や価値観が似ている学生同士が数々のグループを形成する形をみてまたもや驚愕。

一つである必要はない。
自分で友達は選択できる。
そして、自分に合う友達や居場所は探そうと思えば探せる。

高校に進学して気づくことができました。

その経験もあり、もし子供がいじめなんかにあっていたら、その学校には行かなくて良いと言うでしょう。送り迎えが必要になっても、違う学校に通わせるでしょう。

1番は、いじめのない、本人が心地の良いところに行き着くことですが。

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