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【エッセイ】「友情」だって認めてほしい。


飲み会の定番の話題はいくつかあるけれど、恋愛トークはその中でも鉄板だと思う。

その日、私は付き合いで会社の同期たちとの飲み会に参加していた。
十数人の男女が複数のグループに分かれて話を楽しむなかで、いつの間にか私のいるテーブルでは話の雲行きが怪しくなっていた。

口火を切ったのは、斜め前に座る女の子。
顔にかかった茶色い髪の毛をかき分けながら、なんてことのないように話を始めた。
「あのさ、男女の友情って成立すると思う?」


男女の友情は成立するか問題


会社の同期たちとの飲み会から何日も空けていない休日、私は懲りずに居酒屋にいた。
ただ、向かいに座るのは、高校時代の部活の同期である佐藤(仮名)。新生活で参っている私を見かねて声をかけてくれたようだった。
私たちは15歳のときに出会ってからもう7年以上の仲になる、れっきとした友達だ。

「でさ、そんな話になったのよ」
近況報告と称して会社の飲み会での出来事を軽く話した後、あのときは言えなかった言葉を、彼にこぼした。
「友達に男女とか関係あるわけ?」

突然だが、私は友達が少ないほうだ。
ここ数年、わざわざ時間を作って会った友達は、両手で数えられるくらい。
同性だけしかいない空間に自分を置いた時間もあったから、友達は同性の方が多いけれど、異性の友達だって複数人いる。
心を許した人には思い切り自分を曝け出していて、もちろん佐藤はそのひとりなんだけど、これで友情が成立していなかったら、私、なにも信じられなくなる。

「友達は友達じゃん。2人で約束して飲みに行ってなにが悪い?男女の友達ってそんなに変?」
運ばれてきた焼き鳥を一口頬張り、私は続ける。
「私と佐藤が同性であればなにも言われないのにさ」
「うん」
「どうして純粋な友達って思ってもらえないんだろう」
私がレズビアンだったり、佐藤がゲイだったりする可能性もあるのにさ!なんて言いながら焼き鳥を頬張る私を見て、今度は佐藤が口を開いた。


他人が勝手に私たちの関係を決めるな。


「僕は原石のこと友達だと思ってるし、原石もまあそう思ってくれてるのを大前提として」
「私だって佐藤のこといい友達だと思ってるよ、いつも声掛けてくれてありがたいと思ってる」
口挟んでごめん、と謝ると、佐藤はいや、と笑った。
「ありがとう」
「それで?」
話を促すと、佐藤はレモンサワーを一口飲んで話を進めた。
「同期みんなで集まれば絶対そんなこと言われないし思われないのに、2人で会ってると、カップル割ありますよとか声かけられるじゃん。別に手繋いで歩いたりしてるわけでもないのに」
「うん」
「一緒に歩いてる2人の男女がカップルである確率はさ、そうじゃない確率に比べてどうしても高くなるから、どうせあの2人もカップルだろうって見られちゃうんだろうね」

佐藤の言うことはわかる。
恋愛至上主義が蔓延る日本では、「いわゆる年頃の男女が2人でいたらカップル」と考える人が多い。
構造的差別だと言ったら言い過ぎな気もするけれど、私たちは周りから勝手にカップルだと判断されているわけで。

「気になる?」
私を気にかけるように問う佐藤に、素直に言葉をこぼす。
「友達だっていいじゃん、なにがだめ?」

セクシュアルマイノリティを自認している私と、私からはマジョリティ側に見える佐藤じゃ感じ方なんて違うんだろう。

でも、友情が恋愛に見下されてる今の風潮を、私はどうしても気に入ることができない。
そのうえ、私たちの関係を他人が勝手に判断して、間違ったまま決めつけるなんて、そんなの許していいわけなくない?


「僕らがお互いを友達として大事に思ってるって理解しあってればいいんじゃないかな」なんて、優しい佐藤は言うけれど。

「男女の友情なんて成立するわけないじゃん!」って言い切ったあの子にも、「男女の友情だって成立するんだよ!」ってことを、わかって認めてもらえるときがくるといいな。


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